ソーシャル・ビュー
視覚に障害がある人との鑑賞ツアー
1グループ5、6名
各グループに必ず1人は、見えない人を入れる
障害の程度を最初に確認
1作品につき20分程度かける
その作品について語りあう
ソーシャル・ビューは「見える人による解説」ではありません。見える人の仕事は、「正解」を言うことではないのです。「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」の林さんは、ワークショップを始める前に参加者にこう説明します。 「鑑賞するときは、見えているものと見えていないものを言葉にしてください」。 「見えているもの」とは、文字どおり目の前にある、たとえば絵画の大きさだとか、色だとか、モチーフなど。 ひとことでいえば「客観的な情報」です。 「見えていないもの」とは、その人にしか分からない、思ったこと、印象、思い出した経験など。つまり「主観的な意味」です。ここにもまた、情報と意味、というあのテーマが潜んでいます。「客観的な情報」や「正しい解釈」だったら、見えない人だって本を読めば済むわけです。 情報化の時代にわざわざ集まってみんなで鑑賞する面白さは、見えないもの、つまり「意味」の部分を共有することにあります。もちろん、作品を見たその瞬間にぱっと意味が分かる人なんていません。 しばらく眺め、場合によってはまわりをまわったりして、自分なりに気になった特徴を「入り口」として近づいてみる。もやもやしていた印象を少しずつはっきさせ、部分部分をつなぎあわせて、自分なりの「意味」を、解釈を、手探りで見つけていく。鑑賞とは遅々とした歩みであり、ときに間違ったり、迂回したり、いくつもの分かれ道があったり、なかなか一筋縄ではいきません。しかし、この遠回りこそが実は重要なのです。
美術館の学芸員が、印象派の作品を見たときに湖かと思ったら野原だった 体験や思考の共有化
作品を鑑賞するとは、自分の中で作品を作り直すこと
他人の目でものを見る
見えない人:ナビゲーターと呼ばれる
美術館に「一緒に歩いて下さい」と頼んでも「そういうサービスはしていない」 MAR(Museum Approach and Releasing)