過剰品質
顧客のアウトカムの向上には繋がらない品質への関わり
「念のために、丁寧にやろう」
「あとで要望が出そうだ。あらかじめ機能追加しておこう」
悪いまじめ
顧客の要望が10だとして、見誤って100のことをやろうとしてしまう
念のためが無駄であったことのフィードバックがないかぎり「念のための品質向上」は組織的に常に行われて構築されつづける。思考停止の努力。
類似
https://gyazo.com/40952c89b49cf2fac03e3821f577456a
例外
どれだけリソースを注ぐほどアウトカムに貢献する仕事は該当しない。
研究など。やればやるほどアウトカムに繋がる仕事と、
これ以上やってもアウトカムに繋がらない仕事を区別するように設計しよう。
連続感覚の途切れた過剰品質
https://gyazo.com/d75ea7ffc3f08f542273fbd06fb35eef
NASA「伝説のロゴ」はかくもクールだった
NASA、愛され捨てられた「ロゴ」の話
完璧な陰影をつけた一セント硬貨問題
作品に取り組むアーティストたちがあらゆるディテールにこだわって、何日も何週間もかけて、プロデューサーのキャサリン・サラフィアンの言う「誰にも気づかれないサイドテーブルの上の一セント硬貨と同じ」ものをつくっているときのことを
『モンスターズ・インク』のクルーの中に、時間を無駄にしてまでディテールにこだわらなければいけないと思っていた人がいたとは考えられない。何事にも限度があることはわかっていたはずだ。その限度が確認できなかったのだ。これはマネジメント側の不備である。実のところ、どこに制限を設定するか、スタッフにどう伝えるかは、以前から悩みの種だった。
限度の多くは内部のプロセスではなく、限られたリソース、締め切り、経済環境やビジネス環境の変化といった外的な事情で決まる。会社としてどうすることもできない。しかし、内部で制約を設け、適切に導入すれば、スタッフが仕事のやり方を改め、ときに別の方法を見出すきっかけになり得る。限度という概念そのものが「やりたいことを何でもやっていいわけではない、だから賢い仕事のやり方を考える必要がある」ことを示唆する。実際そうだろう。要求されるまで、自分からは調整をしない人が多いはずだ。限度は、自分の仕事のやり方を見直し、創造性の新たな段階に自らを押し上げるものだ。
制約がきわめて大切な領域がもう一つある。「食欲制御」だ。ピクサーでは映画をつくっている間、リソースに対する要求は文字通り底なしだ。限度を示さない限り、スタッフはいつも「いい映画をつくりたいだけです」と言って時間とお金の上乗せを正当化しようとする。それは、彼らが欲深いか無駄遣いをしているからではなく、自分の担当パートだけを考え、そのパートの作品全体における位置づけを明確に理解していないことによって起こる。リソースをかけることが唯一いい結果を生む道だと信じているのだ。
厄介なのは、作品のリーダーもチームメンバーも、各項目の真のコストをよくわかっていないことだ。たとえば、物語の一部を手直しするのに、どれだけの追加作業が必要になるのか、ざっくりした感覚しか持ち合わせていない。同様に、アーティストやテクニカルディレクターは、自分が取り組んでいる作業が作品の中でどの程度の重要性を持つのかを知らないまま、きっと欠かせないものだと思って心血を注いでいることもある。キャンピングカーのタイヤがパンクした話では、ディックは希望的観測と現実を切り離すことができなかった。映画づくりのような複雑なプロセスでは、実現したいことと実現できることを切り離す作業は、飛躍的に困難になる。そこで、より明瞭な視界を得るためのツールを持つことがいっそう重要になってくる。
アイスキャンディテクニック
幸いなことに、ブラッドには、ジョン・ウォーカーというプロデューサーがいた。ジョンは( 部門マネジャーのローラ・レイノルズと共同で)、与えられたリソースで何が可能かをクルーが手っ取り早く知ることができる、あるシステムを思いついた。そのシステムでは、アイスキャンディーの棒をマジックテープで壁に貼る。棒一本は一人週を表している。人週とは、一人のアニメーターが一週間にできる仕事の量だ。それぞれのキャラクターの横にアイスの棒を並べる。その壁を見れば、イラスティガールにアイスの棒をたくさん使ったらジャック・ジャックにはあまり使えない、といったことが一目でわかる。「ブラッドが『これは今日中に終わらせなきゃいけない』と言ってきたら、壁を指して『じゃ、棒がもう一本必要だね。どこから取る? 棒はこれだけしかないからね』って言えるんですよ」とジョンは振り返る。これこそ、制約が創造性に与えるプラス効果の好例だ。
コスト監視専門家の導入
この解決法は自明だったかもしれないが、自明でなかったことがある。それは、解決法が監視グループから出てくることはなかった、ということだ。それには、グループが不要の存在であることに気づき、認める必要がある。彼らはグループを成立させていた前提を問う立場になかった。また、前の経営陣もその解決策を提案するはずがない。彼らは監視グループがプロセスに透明性と規律をもたらす重要な機能を果たしていると信じていた。そこが皮肉なもので、制約を課すために足したそのレイヤーがかえって制約を見えなくさせ、制約の効果を半減させていいた。
監視グループは、「問題が起こったときにスタッフが解決できるようにするにはどうすればよいか」という根本的な質問がされることなく設置された。むしろ、そこでされたのは「スタッフが問題を起こさないようにするにはどうすればよいか」という質問だった。その発想では、スタッフは創造的な対応ができない。私は、制約や手順を課すときには、それがスタッフの創造的な対応を引き出すかどうかを必ず考えるべきだと思っている。結論がノーならば、その策は適切ではない。
出典
最近、日本製品の過剰品質が問題とされることが多い。過剰品質とは、製品やサービスの品質水準が、要求される水準と比べて高いことを指す。使い切れない機能を満載する携帯電話、本来の機能には問題がないのに、わずかな傷や汚れのために不良品とされる部品の山、食品スーパーで売られる形の整った野菜、整備の行き届いた高速道路など、過剰品質ではないかと思いたくなる事例は少なくない。こうした過剰品質はなぜ生み出されるのであろうか。ここでは、3つの要因を指摘する。
事例
https://gyazo.com/09ebd76387302cdab0b37983c8286f5a
重心が限りなく真ん中に近いサイコロ 立方体を6つの四角錘に分割して考えた場合、 底面に彫られた6つの目の形状を調整して、 それぞれの四角錘の重量が均等になるように削ってあります。 6つの四角錘を組み合わせたとき、設計理論上中心から各底面までの距離の一致度は99.99999999%。