説明嫌いと説明マニア
バンドエイドの説明の詳細度に対する人々の反応
どんな製品を買うときでも、消費者は細部に関心を払おうとしない。バンドエイドを買いに行ったところ、店頭の商品がすばらしい新機能をうたっていた。
パッドの気泡が傷を早く治す
このバンドエイドを割高でも買おうと思うだろうか。思う人もいるかもしれないが、こんな疑問を抱くのではないか。「どんな仕組みなのか」と。もう少し説明を追加すれば、新機能の価値を信じて余分なお金を支払うかもしれない。フタを開けてみると、誰もが多少の説明を歓迎することがわかった( 4)。当初の宣伝文に次の説明を加えると、バンドエイドを買いたいと思う人が増えた。
気泡によって傷周辺の空気の循環が良くなり、細菌が死滅するため、傷が早く治る。
なぜ気泡があるかを説明してもらうことで、消費者は因果を理解した気になる。だがこの説明は、かなり皮相的だ。気泡によってなぜ空気の循環が良くなるのか、なぜ空気循環によって細菌が死ぬかはわからない。しかしこうした詳細な質問の回答は求めない人がほとんどだ。われわれはさらに詳細な説明を追加してみた。
気泡でパッドが押し上げられて傷とのあいだに隙間ができ、空気が循環する。空気中の酸素が多くの細菌の代謝プロセスを妨げ、細菌が死ぬため、傷は早く治る。
すると、製品に対するほとんどの人の評価はむしろ悪化した。因果的説明が多すぎると、消費者はそっぽを向くのだ。
多くの人は説明嫌い
たいていの人は、意思決定をするときには「説明嫌い」になる。まるで童話『三匹の熊』のヒロイン、ゴルディロックス〔熱すぎず冷たすぎない、ちょうど良い温かさのスープを選んだ〕 のようだ。説明は簡単すぎても、くどすぎてもいけない。ちょうどぴったりがいい。もちろん、あなたの周りにも例外的な人は何人かいるだろう。選択をする前には、詳細な部分まですべて知っておこうとする。入手できる資料はすべて何日もかけて読み込み、新たなテクノロジーのプラス面とマイナス面を調べる。こうした人々を「説明マニア」と呼ぼう。
説明嫌いと説明マニアとの違いは、どこにあるのだろう。その答えは、第四章で触れた認知反射である。認知反射テストで高得点を取る人は、自分がどれだけ理解しているかをじっくり考える習慣があるので、引っかけ問題に引っかからない。同じようにモノをしっかり考える人は、満足できる説明についても高い基準を持っている。バンドエイドについての一つ目、あるいは二つ目のような皮相的な説明では満足しない。もっと知りたいと思う。
しかし大多数の人は説明嫌いだ。三つ目の説明を聞くまでもなく満足してしまう。説明が詳しすぎると、製品が複雑なモノに思えるだけだ。バンドエイドの性能を評価するのに、細菌の代謝プロセスが関係あるということを、誰が知っていただろうか。そもそもそんなことに誰が興味があるというのか。
情報量を増やすことは解決策にならない
消費者が浅薄であることへの標準的な対応は、教育を通じて無知を解消しようとすることだ。そこには知るべきことを教えれば、消費者は賢明な判断を下すようになるという期待がある。
消費者が金融についてより良い意思決定をできるようにするという試みは、幾度も繰り返されてきた。家を買う、退職後のために貯蓄をする、大学の学費を支払うといったお金に絡む判断は、人生における意思決定のなかでも特に重要な部類に入るからだ。これほど豊かな社会において、これほど多くの人が破産すれすれの生活を送っているというのは衝撃的である。
アメリカの家計の資金的な危うさを示す、恐ろしい統計がある。三〇日以内に二〇〇〇ドルを用立てられる自信がある、と答えたのは全世帯の二五%にすぎなかった( 6)。突然の事故、病気になったら、あるいは世帯主が解雇されたらどうするのか。ぞっとするような統計はもう一つある。まもなく退職期を迎えるアメリカの世帯は平均して、三年分の生活費しか貯蓄していない( 7)。明らかに十分とは言えないだろう。
誤解を招くような主張や質の低い説明は、知識のコミュニティのおかげで成り立っているところもある。それが通用するのは、私たちが他者に思考を任せる傾向があるからだ。コミュニティの存在を意識するだけで、自分は理解している、少なくとも意思決定をするだけの知識はあるという気になる。その結果、一見まともそうな、しかし製品がどのように効果を発揮するかという具体的な説明のない広告を素直に受け入れる。「自然派」「有機」といった言葉は、類似製品と比べて特に自然でも有機でもない製品に使われると、消費者に誤解を与える。同じように「グルテンフリー」の食品をもてはやす風潮が広まるなか、もともとグルテンを含んでいなかった食品にも「グルテンフリー」というラベルが付けられるようになった。ダイエット用サプリが「プロバイオティック」であるとなぜ良いのか、知っている人はどれだけいるだろう。
知識のコミュニティが果たす役割に対する理解不足が、問題を引き起こす場合もある。たとえば市場に膨大な選択肢があり、そのひとつひとつに細かい字で専門用語を使った説明がくどくど書かれていると、たいていの人は圧倒され、諦めてしまう。
具体例として「年金のパラドックス」と呼ばれる、経済学の問題を考えてみよう。金融機関が販売する年金商品の一つに、保険のようなものがある。一定額を振り込むと、決まった金額を毎月一生涯受け取ることができる。毎月いくらもらえるかは、主に最初に振り込む金額と受給開始年齢で決まる。経済学者の多くは、年金商品は非常にすぐれた投資対象だと考えているが、購入する消費者は少ない。なぜ消費者は年金商品に魅力を感じないのか、多くの研究が行われてきた。理由の一つは、消費者に商品が理解できないことだ。
専門家が陥る罠
専門家は自分に理解できるのだから、ふつうの人々も自分が書いた文書を理解できるはずだと思う。これは知識の弊害だ。自分の頭の中にあることを他の人々の頭の中にあるものと区別できないのは、知識のコミュニティへの参画がもたらす結果である。
改善方法
出典