認知過程は認知できない
人は認知処理の結果は表現できるが、認知の過程そのものを認知することはできない。
例
どうやって見ているのですか?
人が向かってきているとどうやって分かっているのですか?
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「自分のことは自分で分かります」の嘘
自分の考えていることは自分が一番わかるので、認知科学者などに説明してもらう必要はない」などという話を聞くこともある。
残念ながら、この反論は次のような質問により簡単に却下される。「あなたは奥行きを感じているはずですが、どうやって奥行きを感じたかを説明してください」、「boyの日本語は何かを思い出してください。思い出したらどのようにしてそれを思い出したのかを説明してください」。こうした質問に適切に答えられる人はいない。つまり、これらに関わる自分の認知プロセスを内省することはできない。
ヨハンソンたちが行った実験( 5) では、参加者に二人の女性の顔写真を見せ、どちらが好きかを選んでもらい、その写真を直後に再度呈示してその理由を尋ねる。ただ、時々手品を用いて、選んでいないもう一方の女性の写真を見せて、それを選んだ(?)理由を尋ねる。ところが、この入れ替えの手品に気づく人はたったの一三パーセントでしかないという。そして気づかなかった人たちは、ちゃんと自分がそれを選んだ理由(?)を答えるという。これらのことは、自分が選んだ理由はそれを問われたその場の思いつきであり、真の理由ではないことを示してている。
このように、私たちは知覚や記憶の文脈ではその認知プロセスを内省できないし、より高度な判断や決定についてもその真の理由にアクセスすることはできない場合があるのだ。内省や内観をあてにして研究を進めることがまずいのは、こういう理由による。
出典