知能増幅
道具
1960-80年代におけるワークステーションのコンセプト
知識増大ワークショップ
私は、人間はコンピュータシステムから大きな力を引き出すことができると直感的に感じていた。ディスプレイに向かい、コンピュータと対話し、志向を容易にするさまざまなみなれぬ記号を見ている姿がありありと想像できた。紙をはじめとする従来の研究手段の束縛から解放され、同種のコンソールに座ったほかの研究者たちと、まったく残心な形で協力できるようになるだろうと思われた。我々は、コンピュータのあらゆる制御方法を駆使することができた。
1959年頃、「どのように機能するのだろうか、何が基本になるのか?」ということを、ゆっくり考える機会があった。私もエンジニアなので、これを単純化したモデルを組み立てた。ここに知的作業を行いたいと考えている人間がいる。彼は、その内部に我々が利用できる能力――既知の多大な知的能力と彼自身が気づいていない能力を持っている。これは外部の事象を動かす駆動機構や事態を理解するためのセンサーと知覚機構をもつ、素晴らしい機械と言える。そして、これこそが人間が外部世界とかかわるのにつかっているものだ。
どうすれば人間の能力を改善できるのだろう。じつは、何世代にもわたる多くの人が、これを研究してきたのである。人間はさまざまな意識的、無意識的な文化の型を教え込まれ、適応させられていく。我々は自分自身ですら意識しない行動と知覚の技術を持っている。たとえば、歯の磨き方を覚えるのにどれくらいの時間がかかっただろうか。これは大変な時間をかけたわけで、1つの技能と言える。こうした知覚―行動技能は、我々の文化の複合的階層と対話するのを補助するために編み出されてきたものだ。
こうしたことの多くが実際に利用できるようになり、道具と手法のおかげで、社会機構の中で生活し、効率よく対話できるようになったし、知的作業を効率よく行うのに役立つ道具と手法のサブセットもある。だから、こうしたものすべてを「増大システム」と呼ぶことにしよう。これが人間の能力を増大させるものだ。これを、便宜的に2つの部分に分けてみよう。一方はすべてのテクノロジーを含み、もう一方は残りのものからなるので、これを「道具システム」と「人間システム」と呼ぶことにする。
言語――人類がこれまでに生み出したあらゆるもののうちで飛び抜けて重要な発明――だけでなく、訓練、知識、技能なども「人間システム」に入る。日常の些細な作業をつなぎ合わせるのに利用している手法は、限りない重要性を持っている。人間の仕事の習慣、手順、組織の運営方法といったものは、いずれも実際に結果を確認出来る形で遂行される。こうした枠組の中では、人間の持つ能力はどれもきわめて複合的である。人間の能力は、我々が受け入れている慣習や習得した言語に加え、さまざまなもの――技能、訓練、条件付けなどを利用することによって成り立っている。こうしたもろもろのことが複合した合成物こそが、我々の増大の方法を見つけなければならない対象なのである。
そこで、道具システムの新しい技術が登場することになる。だが、技術が単独に存在するだけでは十分ではない。人間の能力というのは、じつにきわめて階層的なものである。我々は、まず読み書きやタイプなどの様々な下位の能力を習得し、その基礎の上に上位の能力を築いていく。したがって、新しい技術、たとえば長持ちするペンを手に入れれば、ささやかな効果をもたらすだろう。しかし、1960年ですら、予測できたデジタル技術を導入すれば、それはシステム全体に及び、能力の階層そのものにまで影響をもたらす変化が始まる可能性がある。
技術サイド、「道具システム」は一方的にバランスを欠いて独走してきた。2つのシステムがバランス良く共同歩調をとって進歩していかなくてはいけない。この共同進化をもたらす環境を確立するにはどうしたらよいだろうか。
もっと真剣に人間の能力を大幅に増大させることを探し、さらに多くの変化の候補となるものを検討し始めなくてはいけない。
新しい道具やものを使い始めるのにふさわしい場所があるだろうか