投資銀行
投資銀行
株式公開にいたる道は、すべて、投資銀行という世界を通る。IPOに向けた戦いは、投資銀行の選定から始まるのだ。スティーブはえり好みが激しいと取締役の選任で感じたが、投資銀行に対する好き嫌いは、そのくらいかわいいものだったと思うほど激しかった。
バンダ諸島からスパイスを調達するためであっても、カリフォルニア州ポイントリッチモンドでアニメーション映画を作るためであっても、まずは、必要なお金をどこからかみつけてこなければならない。そのお金を広く一般投資家から集めるとき、その仕事は、銀行という世界の片隅にあるごく専門的な部分、なにをしているところなのかあまり知られていない部分が担当する。投資銀行である。
投資銀行は、お金を持っている人、すなわち投資家と、それを必要とする側、すなわち事業者とを結ぶのが仕事だ。会社の株式を公開したいなら、投資銀行に頼るしか道はない。彼らは、お金にいたる細道を守る番人なのだ。投資銀行の機能をひとつだけあげろと言われたら、お金を投資するに足る会社であるとその質を保証すること、になるだろう。投資先としての価値と信用を保証する太鼓判を押すこと、と言ってもいい。この判をもらわなければ、投資家と話をすることもできない。
会社の株を買うとき、投資家は、まず、その価値をどう評価するのかを考えなければならない。株というのは、実際のところ、会社のごく一部である。だから、全部で1万株の会社の株が1株 50 ドルなら会社の価値は 50 万ドル、100ドルなら100万ドルとなる。だから、いくらならそこの株を買うのかを考えるには、まず、会社の価値がわからなければならない。
投資銀行の主な業務のひとつが、会社の価値の評価である。歴史や資産、負債、製品、利益、市場、流通チャンネル、経営陣、競争など、事業の成否にかかわるあらゆる側面から会社の事業を検討し、その価値と投資リスクを評価する。ウインドウショッピングの目が肥えているのだ。評価後は、株が売れやすいように投資家を探してきたりもする。その優劣は、投資の価値とリスクを投資家に理解してもらう手腕と信用によって決まる。IPOだけでなく、会社の価値を評価しなければならないときに必ず登場するのが投資銀行だ。
このようなサービスの対価として、投資銀行は、投資された金額の一定割合を受けとる。計算の仕方は異なるが、これは投資に対して税を課すようなものだ。ごくわずかであっても、世界全体における資金調達の一定割合が懐にはいるというのはすさまじく、投資銀行は、富も力も威信もずばぬけている。資本市場の番人は儲かる商売なのだ。
投資銀行もいろいろで、地域に根付いた小さなところから世界を股にかける大きなところまである。一部の業界に特化しているところが多く、付き合いのある投資家もそれぞれ異なるのが普通だ。だが、スティーブにとって、考慮の対象となるのは2カ所だけ。投資銀行界の絶対王者、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーだ。 モルガン・スタンレーとゴールドマン・サックスのシリコンバレー支店長は、びっくりするぐらい違っていた。モルガン・スタンレー側はフランク・クアトロン。投資銀行の人間として、おそらくはシリコンバレーで一番よく知られている人物だろう。社交的なのに肝がすわっており、勇猛で味方になってくれればこれほど心強い人はいないと言われている。背が高いのにずんぐりした体形で、口ひげを生やしており、笑顔が印象的だ。いるだけで部屋の空気が一変する。人気のテクノロジー企業を何社も株式公開に導いてきた実績があり、みな、彼に担当してもらいたいと願っている。今年一番の話題となったネットスケープ社のIPOで幹事を務めたのが彼だ。
対して、ゴールドマン・サックスのエフ・マーチンは物静かで口数が少ない。心温まる笑顔の持ち主で、その物腰は礼儀正しく洗練されている。フランク・クアトロンは開拓時代の西部辺境というイメージ、マーチンは体制的な東部のイメージと言えばいいだろう。マーチンは 10 歳ほど私より上だが、人当たりはいい。肩に力が入ることがなく、常に冷静だ。
スティーブと私は、ピクサーのビジョンや事業計画、それに伴うリスクなどを説明するプレゼンテーションの準備を進めた。ストーリーは、1930年代にディズニーがしたことを1990年代にまたやる、が基本だ。新たな媒体を活用してアニメーションエンターテイメントの新時代を拓き、その過程で、世界が愛してやまない映画やキャラクターを生みだすのだ。
プレゼンテーションで、まずスティーブがビジョンを示してから、私が4本柱からなる事業戦略を説明することにした。そのあと、ピクサーの事業について検討すれば、当然、リスクや課題についても語ることになる。ラリー・ソンシニのアドバイスもあり、我々は、リスクについても包み隠さず語ることにした。
モルガン・スタンレーのノー回答をスティーブから聞き、電話を切ると、ピクサーに関する不安や恐れがどっと戻ってきた。投資銀行が強い興味を示してくれ、スティーブがご機嫌だったのに目がくらみ、事業リスクが正しく見えなくなっていたのかもしれない。ゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーに打診する前には、どちらか片方でもかかわってもらえる可能性は低いとわかっていたじゃないか。であれば、断られたからといって、いまさら驚くことではない。だが、いつのまにか、彼らもやる気だと思い込んでしまっていた。だから、拒絶がこれほどひりひりするのだ。
状況を受け入れ、心を整理するのに2~3日かかった。
我々からは、ピクサーのビジョンと事業計画、リスクについて詳しく説明した。エンターテイメントの歴史をかつてないほど大きく変えたいと思っている。そのためには、資金を調達して制作費用を自前でまかなえるようにする、陣容を拡大して制作本数を増やす、ピクサーを世界的ブランドにする、映画収益の取り分を増やす、という4本の柱を立てる必要がある。リスクもある。大きなリスクだ。そこをウォールストリートに理解してもらう必要がある。
打ち合わせ後、スティーブに袖を引かれ、耳打ちされた。 「要望がひとつある。絶対の条件だ」 「なんでしょう」 「ロードショーには、必ず、マイク・マキャフリーも参加してくれ、だ」
そんなむちゃなと思った。ありえない。ロードショーとは会社を投資家に紹介するツアーで、2週間かそれ以上をかけて国中を回る。場合によっては欧州にも足を伸ばす。なるべく多くの投資家に話を聞いてもらうすごく大変な作業であり、投資銀行のCEOがロードショーに参加するなど聞いたことがない。我々を連れてあちこちの都市を巡り、投資家と会うというのは、ある意味、単純作業であり、若手の仕事なのだ。マイク・マキャフリーがそんなことをしたのは、もう、 20 年以上も前が最後だろう。彼の仕事はロバートソン・スティーブンス全体の運営なのだから。
「詳しい話をお願いします。ピクサーはおもしろそうだと目を付けていたんですよ」
想像もしていなかった反応だ。私は、ピクサーのストーリーをいつものように語った。
「うーん、いいですねぇ。実にいい。エンターテイメント業界で必要なものがぜんぶそろってるんですね」
ええっ? 心の中で思わず叫んでしまった。守りに身を固くしていたのに、手厳しい言葉は飛んでこない。それどころか、ハロルドは、これ以上ないくらいに前向きだしにこやかだし愛想がいい。
「それはどういう意味でしょうか」
聞き返してしまった。
「テクノロジーはエンターテイメントを前に進める大きな力です。すばらしいストーリーと新たなテクノロジー、練達の経営がそろった会社が未来を切りひらくのです。そして、ピクサーにはそれがすべてそろっています。これは珍しいことですよ。私も、ぜひ、一口乗らせていただきたいと思います。コーウェンがIPOに参加するという道もあるかもしれません」
あごが落ちた。床までだ。テレビ電話だったら、ハロルドもびっくりしたことだろう。彼の目には、我々が気づかなかったピクサーの強みが見えていたのだ。いや、ゴールドマン・サックスにもモルガン・スタンレーにも見えていなかったものが、と言うべきか。ピクサーはすごいことをしているとハロルド・ヴォーゲルが言うのなら──たぶん、そう思ってまちがいないのだろう。
ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーに一蹴されたときには、想像もできなかった展開だ。エンターテイメント分野でトップクラスのアナリストから、成功に必要な要素がすべてそろっていると言ってもらえるとは。しかも、自分も一枚かみたいと言ってもらえるとは。
投資銀行の関わる数
「3番手でもいいと言ってくれるかな?」
「問題ないと思いますよ」
IPOに投資銀行3行がかかわるのはよくある話だ。銀行の数は特に決まっていない。2行のこともあれば、4行とかもっと多い場合もある。IPOの規模や投資家の集まり具合、業界知識の必要性などによってさまざまなのだ。IPOで売り出す株式は参加する投資銀行に分配する。3番手ということはコーウェン社への割り当てが一番少なくなるわけだが、それが問題になるとはあまり思えない。紹介できる顧客も彼らが一番少ないはずだからだ。
「彼らが3番手でいいと言うなら、ぼくはかまわないよ。まあ、これから2番手を探さなきゃいけないわけだけど」
私に異論などあろうはずがない。コーウェン&カンパニーはこの条件を飲んでくれるはずだ。つまり、ハロルド・ヴォーゲルがアナリストとしてピクサーを担当してくれる。 これで投資銀行チームは完成。幹事がロバートソン・スティーブンス、2番手がハンブレクト&クイスト、3番手がコーウェン&カンパニーだ。ようやく、株式公開の準備を本格化できる。