意見と事実の混同
自分の「面白い」という評価が含まれている
ふりかえりの定義をwebで調べたら、面白いほど事実と手順という教授主義の表現系になってる。
データ的な表現に留まっている
ふりかえりの定義をwebで調べたら、ほとんどが事実と手順という教授主義の表現系になってる。
事実と意見の問題は、再解釈せずに伝えられるか問題
事実と意見の混同という問題は昔からある。
事実と意見を対比することがおかしい。意見も事実の一つとして捉えることができるし、事実ではないと捉えることもできる。
『なぜ「事実」と「意見」を区別して話せない人がいるのか。』
URL先では顧客の発言を事実として扱っているが、顧客の発言は顧客の意見でもある。顧客の発言は必ず事実なのだろうか。立場によって、事実か意見かが分類されるのか?
正確には「顧客がどのような発言をしたのか」という事実が欲しいのであって、顧客の発言が事実なのか意見なのかは別の話だが、混同している。つまり、URL先のコラムでは、上司は誰の意見を聞きたいのかが争点になっている。
事実と意見の混同問題は、実際は、ある人の意見を別の人に再解釈せずに伝えられるか問題だと思う。
冒頭の障害報告は、ある情報を再解釈せずに別の人に伝えられるか問題(シグナルのロスレスコミュニケーション)だったり、コンテキストから問題解決につながるフレームを切り取る能力問題かなと思う。
昔から続いているテーマはちょっと考えなおしてみると、いろいろな発想につながるから面白い。
意見
①思う所。考え。「各人が―を述べる」
②(「異見」とも書く)思う所を述べて人を諫めること。忠告。「おやじに―される」
広辞苑第七版