停止規則
停止規則のことは軽視されやすい。していることを止める理由を解明するよりも、始める理由を追究するほうが、差し迫って重要だと思える場合が多いからだ。小売店として商品を売っているなら、客が買うのをやめて他の店に行ってしまう理由を探るよりも、今その商品を買わせる方法を知りたいと考える。医者として患者に運動をさせたいなら、運動を止めてしまう要因を解明するよりも、まずは始めさせる方法を特定するのが先決だ。教師として生徒に勉強をさせたいなら、勉強の習慣を継続させる方法よりも、とにかく机に向かわせる方法を知りたい。「なぜやめるのか」ではなく「どうすれば始めるか」を問うほうが先というわけだ。
人間の依存症や強迫行動を考えるにあたっても、本当は停止規則——「どうすれば止めるのか、なぜ止められないのか」——が大きな意味をもっているのだが、そのことは往々にして見逃されている。
実のところ、人生を容易にする新しいテクノロジーは、停止規則を反故にする力があるのだ。アップルウォッチやフィットビットのようなウェアラブル端末は運動の履歴を追跡してくれるが、その一方で、身体が示す疲労のサイン(停止規則)に気づく力を阻害する。以前の章で紹介した運動依存症の専門家、キャサリン・シュレイバーとレスリー・シムは、ウェアラブル端末が依存症状を悪化させると考えている。
シュレイバーは私の取材に対し、「テクノロジーは、人にものごとを数字で考えさせるのです」と説明した。
「何歩歩いたか、レム睡眠は何時間とったか。そうした数字に着目するよう促すのです。私はこうしたデバイスを1個も使っていません。私の性格から言って、数字が気になって気になって精神的に追い詰められるに決まっていますから。それが依存行動の引き金になるんです」
シムは、フィットビットをカロリー計算にたとえている。
「カロリーを計算しても体重は減りません。カロリーの数字に対する執着が生まれるだけです」
カロリー計算をしていると、食べているものに対する勘や感覚が働かなくなる。ウェアラブル端末も同様で、シムに言わせれば、それを着用することで身体活動に対する感覚が鈍くなる。彼女が受け持つ患者たちは、たとえば「今日は1万4000歩しか歩けなかった。すごく疲れているし、休息が必要だけれど、あと2000歩を稼ぎに行かなければならない」というような考え方をしている。
同じことが長時間労働にも当てはまる。ほんの少し前まで、オフィスを離れるときには仕事もそこに置いて帰るものだった。しかし現在ではスマートフォン、タブレット、リモートログイン、メールといった技術が、どこにいようと働く者をつかまえるので、退社が停止規則の役割を果たさない。
停止規則の反故は、他の場面でも生じる。スロットマシンもそうだ。以前はスロットマシンには紙幣を入れなければならなかったが、最近では専用のカードを挿入し、そこに当たりとハズレが登録される。ふつうの買い物でも現金ではなくクレジットカードを使うことが一般化した。失う金額がはっきり見えていると、それが停止規則の役割を果たすが、スロットカードやクレジットカードでは負債の蓄積が追いづらい。財布の中で紙幣が減っていく事実と直面せず、ぺらっとしたカード1枚に損失や支出が見えない形で記録されていくだけだ。
マーケティング学教授ドラーゼン・プレレックとダンカン・シメスターが発表した有名な論文は、現金ではなくクレジットカードを使うと人は同じ商品が2倍高くても払ってしまうことを明らかにしている*12。クレジットカードは、スロットマシンのカードと同じく、出費によるフィードバック(もっている紙幣が減るという反応)を見えなくするので、かわりに自分で収支を追跡しなければならない。かつてアメリカン・エキスプレスは「出かけるときは忘れずに」というキャッチコピーを使っていたが、プレレックとシメスターはそのコピーをひっくり返して、論文に「出かけるときは自宅に置いて」という巧みなタイトルをつけた。