シャドーボックス
最近クラインは、学習に認知的徒弟制のアプローチを利用したシャドーボックスというソフトウェアを開発した。私はプログラムに組み込まれたビデオを視聴した。冒頭に流れるのはユーチューブの動画で、スケートボードで遊んでいる若者に警官が歩み寄る。
「ボードを渡せ」。警官が言う。
舞台はボストン近郊の街。警官は背が低くていかつく、アメフト選手のような胸板の持ち主だ。スケートボードの若者は一六、七歳だろうか。警官より背が高くやせた若者は、お気に入りのおもちゃを抱きしめる四歳児のようにスケートボードを抱え込んだ。
「僕は違法なことなんか何もしていません」。若者は言った。
「早くボードをよこすんだ」
「理由を教えてくださいよ」
「警告はしたぞ」。警官はそう言うと、さらに若者に近づいた。「ボードを渡しなさい、さあ」
私はマウスをクリックして一時停止した。両者はコンピュータ画面上で鼻を突き合わせたまま静止した。
このプログラムでは、警官が現場の緊張感を高める──または緊張感をやわらげる──タイミングをメモで記録し、その理由を詳しく書く。私は、目の前で動画を一時停止させたまま、画面の空欄に文章を入力し、警官が事態をおさめるタイミングはここだと考えた理由を述べた。
クラインによれば、これがプログラムの目玉の一つだった。具体的には、これで自分の推論のしかたに気づきを得て、専門家の思考法と比較できる。私にビデオを見せる前にクラインは専門家である警察官のグループに動画を見せ、彼らならこの現場にどう対応するか、アドバイスをもらっていた。その回答からクラインと彼のチームは専門家の思考の筋道をまとめていた。おかげで私は今、プロの警察官の推論のしかたと自分の推論のしかたを比較できるわけだ。
私は動画を再生し、緊張感が高まる──またはやわらぐ──タイミングをメモしていった。そして最後にダイアログボックスが表示された。「専門家に聞いてみよう」と書かれている。
案の定、私は不正解を連発していた。決定的なタイミングのうち私にわかったのはわずか一つだけ。しかも専門家が指摘した事項のいくつかは目にも入っていなかった。例えば、プロは警察官がスケートボードに手をかけたことに気づいている。ところがこの動作は私の意識をかすりもしなかった。また私は警察官が若者を指さした事実もたいして気にとめなかったが、専門家は指さしは不必要に攻撃的な行為だと考えていた。
だがこれこそが狙いだった。私はフィードバックを次々にもらった。クラインは先生のようにビデオの一部始終を解説してくれた。私がなぜ判断ミスをしたのか、私がストーリーを解釈した論理にはどこに穴があったか、若者に自発的にスケートボードを渡すよう説得する方法を専門家はどう考えるか。
ここで話を認知的徒弟制に戻そう。認知的徒弟制にこの動的なアプローチが生かされているからだ。それがよくわかるのがシャドーボックスで、クラインと一緒に警察官のプログラムを体験しながら、私は警察のプロが現場でどのような思考をするかの感覚をつかんでいった。
例えば、警察のプロが最も重視するのは警察官と市民の間の信頼──または信頼の欠如──であり、彼らは動画の警察官が若者からもっと距離を置いてパーソナルスペースを与えるなどして、現場の緊張をやわらげる努力をすべきだったと考えていた。
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