こだわり
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常にとがった状態で書き続けられる新発想のシャーペン開発に、シーメンスPLMの「NX」が貢献
【ブルアカ】ストライカーリロードモーション集 Part.2
「こだわり」と支配的なディスコース
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ここで、ひとつの可能性が示唆されたと感じます。ある特定のディスコース、つまりある特定の考え方や理解への様式への囚われ方を目の前にするとき、「こだわり」という言葉で説明したくなるのです。この「こだわり」を持ってしまった人たちに対応した経験があればわかると思いますが、そのようなときの私たちの思いは、「なぜそこまで」という言葉に集約されているのではないでしょうか。なぜそこまで、その味でなければいけないのか、なぜそこまで、その手順でなければいけないのか、なぜそこまで、そのメーカーでないといけないのかということを、その人に問うていきたくなります。しかし、本人たちは、「そうでなければ」ならないという強い感情に囚われているため、自分達でさえ、どうしてそのようになるのかについて、うまく説明することができないのです。
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多くの人が自分自身の中に見出す「自信を持って普通とは言えない領域」のことを考えていきたいと思っています。それは、人生における問題となっているものだけでなく、生きていくにはそれほど困らないけれども、あまり人には言えないと感じている部分のことでもあり、指摘されるのを恐れている部分でもあります。逆の場合も当然あり得ます。人より優れているので「自信を持って『普通ではない』と言えること」であるかもしれません。それは、なぜ自信を持てるのかというと、人との比較において優位に立っているとみることができること、そして社会におけるディスコースがそれに正当性を与えてくれるからでしょう。
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「こだわり」からの選択が、私たち自身にとってよいものであるという視点から行われているのではないということにも、注意を向けるべきです。「こだわり」という言葉が意味するところをおさえるべきなのです。「こだわり」とは、その人自身が決して「自ら望んでいる」と理解すべきではないところにあります。「それをやめたい」「その状態にしておきたい」などという表現で、「こだわり」を描写することは可能です。しかし、そこには、それを維持するためのつらさや苦しさも伴っている場合が多いのではないでしょうか。