『横井軍平ゲーム館』
「世界の任天堂」を築いた発想力
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目次
はじめに
第1章 アイデア玩具の時代 1966‐1980(ウルトラハンドウルトラマシン ほか)
第2章 光線銃とそのファミリー 1970‐1985(光線銃SPレーザークレー ほか)
第3章 ゲーム&ウオッチの発明 1980‐1983(ゲーム&ウオッチドンキーコング ほか)
第4章 ゲームボーイ以降 1989‐1996(ゲームボーイゲームボーイのソフトウェア ほか)
第5章 横井軍平の哲学 1997‐20XX(横井軍平の生い立ち
あとがき
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はじめに
第1章 アイデア玩具の時代 1966‐1980(ウルトラハンドウルトラマシン ほか)7
玩具ではなくゲームを作れ p25
玩具は道具、ゲームはコンテキスト
左にしか曲がれないが極めて安いラジコン
第2章 光線銃とそのファミリー 1970‐1985(光線銃SPレーザークレー ほか)
第3章 ゲーム&ウオッチの発明 1980‐1983(ゲーム&ウオッチドンキーコング ほか)
当時の任天堂は経営難に苦しんでいたが、このゲーム&ウォッチのヒットにより、過去の負債をきれいさっぱり返済し、経営は一気に好転。それどころか、多額の利益が出る企業に変貌してしまったのである。売上高を見ても、ゲーム&ウォッチ以前は150億円程度だったのが、ゲーム&ウォッチ発売の翌年には600億円を突破。ここから、ファミコン、スーパーファミコン、ゲームボーイと任天堂の快進撃が始まる。
社長を乗せているときに、何か仕事の話をしなければならないというわけで、新幹線の中での退屈しのぎの話をしたんですね。「小さな電卓のようなゲーム機を作ったら面白いと思うんですけど」と。「今までの玩具というのは、『大きくして高く売ろう』という発想だけど、電卓のような薄くて小さいゲームだったら、我々のようなサラリーマンでもゲームをしていても周りにばれないじゃないですか」と。ま、社長はフンフンと聞いていましたけど、さほど気にしている様子でもなかった。
ところが、会合の先で、たまたま社長の隣にシャープの佐伯(旭)社長が座ったらしいんですね。そこで、シャープは電卓世界一ですから、私の言った電卓サイズのゲーム機という話をしたらしいんです。そしたら、一週間ほどして、突然シャープのトップクラスの偉いさんが任天堂にばーっとやってきた。私はなんのことやらわからなかったんです。そしたら社長が「君が言った電卓サイズのゲーム機ならシャープが得意だから読んだんだ」と。それから急に実現化していったんです。
ドンキーコングの元ネタは夢遊病のオリーブ p122
第4章 ゲームボーイ以降 1989‐1996(ゲームボーイゲームボーイのソフトウェア ほか)
ゲームボーイの通信コネクタ p139
ゲームの基本 p156
ゲームの基本というのは、碁とか将棋であって、あれに色がついていてもあまり意味はない。結局、カラーは最初の見かけの派手さだけなんですね。当時はカラーにすることによるデメリットの方が大きかったんです。
第5章 横井軍平の哲学 1997‐20XX(横井軍平の生い立ち
平均的技術者の陥りやすい誤った考え方 p205
ユーザーは何を「求めていない」か
技術に惚れ込んではいけない
・技術者は度分の技術をひけらかしたい
・最先端技術を使いたい
・高い商品ができる
・売れない商品になる
部下に花を持たせる p211
どうやって100%の力を出してもらうか
・部下がアイデアを生み出したら、社長のところにいって「彼がこんなことを言いました」と機会を作る
・特許を手伝ってくれた部下の名前で出す
アンチパターン
上司が部下のアイデアを自分の手柄にしてもっていってしまう
斜陽はアイデア不足 p213
実用品に遊びを加える p216
あとがき
「どんな仕事であってもチーム全員が貢献した」
忙しくてゲームする時間が取れないというウソ
人は、楽しいことであれば、どんなに忙しくても時間は割ける。