NVCによる人生を豊かにするための要求
どうすれば相手が思いやりをもって、私たちが必要とすることにこたえやすくできるか考える
自分の必要としていることが満たされていないとき、観察し、感じ、自分が必要としていることを自覚し、さらに具体的な要求をする。自分が必要としていることを満たすだろうと思われる行動をとってもらうよう、人にお願いする。どうすれば、相手が思いやりをもって、わたしたちが必要とすることにこたえてくれやすくなるように要求できるかを考えてみよう。
肯定的な行動を促す言葉を使う
肯定的な表現で要求する
何を要求「していない」かではなく、何を要求「しているか」を表明する。わたしの仕事仲間、ルース・ベベルマイヤーは、「『するな』をどうやってするの?」という歌詞を童謡のメロディにのせて歌う。「『するな』をしろといわれたとき、わたしはただ『するものか』と思ってしまう」。ここでは、否定的な言葉で要求されたときに生じることの多い、ふたつの問題点が浮き彫りにされている。まず、ほんとうのところは何を要求されているのか、よくわからなくなる。さらに、否定的な言葉で要求されると、相手から反発を引き出してしまいがちだ。
事例 校長先生に直談判した生徒
ある生徒が吐き捨てるようにいった。「すでに校長先生には直談判して、ぼくたちが望んでいることをいいました。そうしたら『ここから出て行け! きみたちに指図を受ける覚えはない!』といわれましたよ。
校長に要求した内容をたずねてみた。すると、髪型を強制されたくないと訴えていたことがわかった。わたしは生徒たちに、「望まない」ことよりも「望む」ことを要求すれば校長は協力的な態度をとったのではないだろうかとたずねた。すると彼らはさらに、自分たちは校長に公平な扱いを望んでいると告げたと話してくれた。それに対し校長は、不公平に扱ったことなどないと声高に主張し、防衛的な態度をとったそうだ。それを聞いてわたしは、「公平な扱い」というあいまいな要求ではなく、具体的な行動を要求していたら校長はもっと友好的な反応をしたのではないだろうかと生徒たちにいってみた。
生徒と協力して、肯定的な行動を促す表現で要求する方法について考えてみた。結局、校長に実行してもらいたい具体的な行動は 38 種類にのぼった。たとえば、「服装の規定を決める際には黒人生徒の代表を加えることに同意してもらいたい」「自分たちのことを『きみたち』ではなく『黒人生徒』と呼んでもらいたい」など。翌日、彼らは校長に対し、練習どおりに肯定的な行動を促す言葉で自分たちの要求を伝えた。その夜、彼らから高揚した声で電話があった。校長は、彼らの 38 の要求すべてに同意してくれたのだ。
「髪型を強制されたくない」とは、要求を表現していない
「公平な扱い」は曖昧な要求である
これらは防衛的態度を引き出してしまう
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風刺 溺れた男は岸にいる犬に助けを求めた
肯定的な行動を促す言葉を使うのに加え、あいまいで抽象的でどうにもとれるような言い方を避けて、相手が具体的に行動を起こせる言い方で要求するほうがいい。あるマンガを例にあげよう。湖に落ちた男性がもがきながら、岸にいる犬に向かって叫ぶ。「ラッシー、助けを求めてくれ!」。次のコマでは、犬が精神科医のソファに横たわっている。「助け」という言葉が定義するものがいかに多種多様であるか、ということだ。わたしの家族には、皿洗いを手伝うことはそれを監督することだと思っている者がいる。
不条理なもくろみを隠した表現に自覚する
曖昧な言葉は内的な混乱を引き起こす。
明確に、具体的で肯定的な行動を促す言葉で要求を表現することで、わたしたちがほんとうに望んでいることがはっきりする。
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事例 妻「わたしらしくさせて」
あるワークショップに来た、危機的状態のカップルを例にとって、あいまいな言葉でコミュニケーションをとることが、互いの理解の妨げになることを学んでみよう。「わたしがわたしらしくいられるようにさせてちょうだい」。妻は夫に宣言した。「させている!」。夫が反論した。「いいえ、させていないわ!」と妻が言い張る。肯定的な行動を促す言葉で自分について表現するように求めると、その女性はこう述べた。「わたしが成長して自分らしくなるための自由を、あなたに認めてもらいたいのよ」。しかし、これもまたあいまいで、相手から防衛的な反応を引き出しやすい。彼女は要求を明確に述べるのに悪戦苦闘したあげく、次のように認めた。「ちょっといいにくいけれど、正確にいうと、わたしが何をやっても、にこにこしながら大丈夫だといってほしいの」。あいまいで抽象的な言葉を使うと、こういう不条理なもくろみを隠すことになる。
事例 父親「責任を持ってもらいたい」
カウンセリングに訪れたある父親と 15 歳の息子のあいだでも明確さがないことがあった。「おまえには、少しでもいいから責任感というものを見せてもらいたい。それは過剰な要求だろうか?」。そう主張する父親に、父親が求めている責任感をわからせるために、息子が具体的にどうすればいいのかを説明するよう提案した。明確に要求する方法についてしばらく話し合った後、父親はきまり悪そうにこういったのだ。「あまり聞こえがよくないのですが、責任感を求めているというとき、実際に意味しているのは、疑問をもたずにいわれたとおりにやってほしいということなのです。飛べといえば飛ぶ。しかも笑顔で飛んでほしい、ということです」。もし息子がほんとうにそうしたら、それは責任ではなく、服従を示していることになるというわたしの指摘に父親は同意した。
相手に求めるときに曖昧で抽象的な言葉を使いがち
相手にこう感じてほしい、こうあってほしいと求める場合、その状態に至る具体的な行動を言葉にしないであいまいな言葉や抽象的な言葉を使うことがよくある。たとえば、ある経営者は従業員からのフィードバックを求めてこう話した。「どうかわたしの前でも、自由な気持ちで、思っていることを表現してもらいたい」。自由な気持ちであってほしいという思いは伝わるが、具体的にどうすればそうした気持ちになれるのかはあいまいなままだ。代わりに、次のような肯定的な行動を促す言葉で要求することができる。「わたしの前で遠慮せずに思っていることをいえると感じてもらうために、わたしが『どんなことが』できるか『教えて』もらえるだろうか」
事例 「愛されたい」
クライアント「わたしは、ただ誰かに愛されたいだけです。無理な話ではないですよね」
わたし「スタート地点としてはいいでしょう。愛されるというあなたが必要としていることを満たすために、他人にとってほしい行動を明確にしてほしいのです。たとえば、わたしにはいま何ができるでしょうか?」
クライアント「ええ、それは、おわかりですよね……」
わたし「わかっているかどうか、確信できません。あなたが求める愛を与えるために、どんなことをしてほしいのか話してほしいのです」
クライアント「それは難しいです」
わたし「ええ、明確な要求をするのが難しいこともあります。でもあなた自身が何を要求したいのかを明確にできなければ、他の人がそれに応じるのがどれだけ難しいか考えてみてください」
クライアント「だんだん明確になってきました。愛されるという、わたしが必要としていることを満たすために他人に何を望んでいるか。でも、決まり悪くていいにくいです」
わたし「決まり悪く感じることはよくあります。それで、あなたは人にどうしてもらいたいのですか?」
クライアント「愛されたいと願うときに何を要求しているのかをよく考えてみると、わたし自身がその内容を自覚する前に、わたしが望んでいるものをあなたに察してほしいという思いがあります。しかも、いつもそうしてほしいと望んでいるのです」
わたし「明確にしてくれてありがとう。あなたの望みがはっきりしたわけですね。となると、それを満たしてくれてあなたを愛してくれる人が見つかる可能性が低いこともはっきりしますね」
意識的に要求する
自分の感情をシンプルに表現すれば、聞き手は、こちらの望みをはっきりと理解できるだろう。
ときに、わたしたちは言葉にしなくても明確な要求を伝えることができる場合もあるだろう。たとえば、あなたがキッチンにいて、あなたの妹は居間でテレビを見ている。妹が「喉が渇いた」と叫ぶ。この場合、彼女はキッチンにいるあなたに、水をコップに入れて運んでほしいと要求しているのは明白だろう。
行動の要求なのか、罪悪感を植え付けようとしているのか
しかし、こういうケースばかりではない。自分の不快感を表現して、その奥にある要求を相手が理解してくれていると誤って思い込んでいる場合もある。たとえば、妻が夫に次のようにいう。「夕飯に使うからバターとタマネギを買ってきてと頼んだのに忘れるなんて。わたし、困ってしまうわ」。妻はもう一度買い物に行ってくれと明確に要求しているつもりかもしれないが、夫は妻が自分に罪悪感を植えつけようとしているだけだと解釈するかもしれない。
相手とともに話す方法を学ぶ必要がある
わたしたちは人に「向かって」、あるいは人に「対して」話しかけてはいるが、相手と「ともに」話すにはどうしたらいいのかわかっていない。目の前にいる人をくずかご代わりにして言葉を放り投げるだけ。これでは聞き手は話し手の要求を明確に理解できず、次に紹介するような絶望的な気持ちになってしまう恐れがある。
事例 三回繰り返しす「こんなにのろい電車に乗るのは生まれて初めてだ!」
通路をはさんで、わたしの向かいにはひと組の夫婦が座っていた。乗り物のスピードは遅く、飛行機に乗り遅れまいと急いでいる乗客がいらだつのも無理はない。男性が妻のほうを向いてきつい口調でいった。「こんなにのろい電車に乗るのは生まれて初めてだ!」。妻は無言のまま。夫にどんな反応をすればいいのかわからず緊張しているのか、落ち着かないそぶりだった。すると夫は、さきほどよりずっと強い口調で同じ言葉を繰り返した。思うような反応が返ってこないときにはよくあることだ。「こんなにのろい電車に乗るのは生まれて初めてだ!」
妻はなんと答えたらいいのかさっぱりわからず、おろおろしている。そして必死になって答えた。「コンピュータで制御されているんでしょう」。この情報に夫が満足するとは思えなかった。わたしの予想はあたった。夫はまたもや同じセリフを繰り返したのだ。3度目は、もっと大きな声で。「こんなにのろい電車に乗るのは生まれて初めてだ!」。妻の忍耐ももはやこれまで。彼女は腹立たしそうに切り返した。「わたしにどうしろというの? 降りて電車を押せとでも?」。ああ、これではふたりともつらくなるばかり!
男性はどんな反応を望んでいたのだろうか。おそらく、自分の苦痛が理解されたということを聞きたかったのだろう。理解したといってほしかったのだろう。妻がそれを知っていたなら、こんなふうに答えたかもしれない。「飛行機に乗り遅れるのではないかと心配しているようね。ターミナルを結ぶ電車にもっとスピードを出してほしいので、嫌になってしまっているのね」
話し手の感情と必要としていることを伝えずに要求すると、聞き手は強要されたように受けとめてしまうかもしれない。
感情も必要としていることも伝えずに、要求だけを述べる。典型的なのは、質問というかたちで要求が出される場合だ。両親がいきなり「髪を切りに行ったらどう?」といったら、若者は強要にも攻撃にも感じるだろう。そこに両親の感情と必要としていることが含まれていないからだ。「あなたの髪がずいぶん伸びてしまって、ものを見るのがたいへんそうね。それではバイクに乗っているときに、とくに見にくいのではないかと心配だわ。髪を切ったらどう?」
相手から受け取りたいものがはっきりすればするほど、それを相手から受け取る可能性は高くなる。
取り立てて相手に要求するつもりもなく話していることは珍しくない。「わたしは何も要求していない。ただ、いいたいと思ったことをいっただけだ」という場合だ。だが、わたしにいわせれば、人は必ず相手からなんらかの見返りを期待して話をしているはず。それは単に、共感をもったつながりかもしれない。自分がいったことを理解したということを、言葉で、あるいは言葉以外の方法で伝えてほしいのかもしれない。また正直さを要求するかもしれない。自分の言葉に対する率直な相手の反応を知りたいと望むかもしれない。また、自分が必要としていることを叶えるための行動を要求しているのかもしれない。相手から受け取りたいものがはっきりすればするほど、必要としていることが叶う可能性は高くなる。
伝え返しを要求する
伝えたメッセージと、受け取ったメッセージが同じかどうかを確認するために、伝え返してもらう
分が発信するメッセージは当然ながら、必ずしも相手に届いているとはかぎらない。そこで、自分の満足のいくように相手がメッセージを理解したかどうか、たいていは言葉を手がかりに確かめようとする。意図したとおりに受け取られたかどうかはっきりしない場合は、メッセージがどのように受け取られたのかを確認するための問いかけを明確にする必要がある。誤解があれば、それを訂正できるように。「わかった?」という簡単な問いかけでじゅうぶんという場合もある。「はい、わかりました」という答えだけでは、相手がほんとうに理解しているかどうか確信をもてない場合もある。そんなときには、どのようにこちらのメッセージを受け取ったのか、相手の言葉で表現してくれるように頼むという手がある。そうすることで、相手の表現のなかのズレや欠落に対処するために、自分のメッセージを発信し直す機会を得ることができる。
事例
ある教師が生徒に次のようにいう。「ピーター、昨日記録をチェックしたら、気になることがあったの。まだ提出していない宿題があることに気づいているかどうか確認したいの。放課後に職員室まで来てもらえる?」。ピーターがつぶやく。「わかってます」。それから向こうを向いてしまう。教師は、自分のメッセージをピーターが正確に受けとめているかどうか確信がもてない。教師は確認するために、ピーターにたずねる。「いまわたしがいったことがどう聞こえたか、教えてもらえる?」。ピーターは次のように返事をする。「ぼくが提出した宿題が気に入らないから、放課後居残りをしてサッカーには出るなっていったんでしょう?」。ピーターが意図したとおりに受けとめていないという心配があたっていたので、教師は再度メッセージを伝えようとする。だが、まず次に何を伝えるかに注意を払った。
聞き手が話した内容を伝え返してほしいという要求に応えてくれたら、感謝を伝える
「わたしのいったことを聞いていなかったのね」「わたしはそんなことはいわなかった」「あなたはわたしのいったことを誤解している」といった主張は、自分が非難されているという考え方にピーターを導いてしまう。伝え返してほしいという要求にピーターは誠実にこたえようとしてくれたと教師は思ったので、それに対し、次のようにいうことができる。「どういうふうにわたしの言葉を受けとめたのかを教えてくれてありがとう。どうやら、わたしは自分が望んでいるほどいいたいことを明確にいえてなかったみたいね。だからもう一度いわせてね」
こちらの発言をどう受けとめたのかを伝え返してほしいと相手に頼むのは、最初は気まずく、やりにくいかもしれない。めったにない要求だからだ。相手に伝え返しをお願いする能力はとても重要なのだと強調しても、どうも反応がよくない。もしもそういうことを頼めば、「わたしが何も聞いていないとでも思うのか?」「心理学のゲームに巻き込むのはやめてくれ」などといわれてしまうのではないかと心配なのだろう。そうならないためには、なぜときどき自分がいったことを伝え返してもらっているのか、理由をあらかじめ説明しておけばいい。聞き取り能力をテストしているのではなく、伝えたいことを的確に伝えられているのかを確認するためなのだと。それでも「きみのいったことはちゃんと聞いている。わたしは愚かものではない!」という反論が返ってくるかもしれない。その場合は相手の感情と必要としていることに注意を向けて、こんなふうにたずねてみるのもひとつの手だ。「あなたの理解力に敬意を払われることを望んでいるので、腹立たしいのですか?」と声に出して、あるいは心のなかでたずねてみる。
率直な反応を要求する
自分の要求や感情を明らかにした後に知りたくなること
1.聞き手はどう感じているのか
2.聞き手がどう考えているのか
3.こちらが勧めた行動をとる意思があるかどうか
1.聞き手はどう感じているのか
・どんな感情が刺激されたのか。なぜそういう感情が起きたのか。それを知るには、「いまわたしがいったことを聞いてどう感じたのか、なぜそう感じるのか教えてもらえますか?」などと頼んでみる。
2.聞き手がどう考えているのか
・どういうことを考えているのか。この場合、どの部分についての考えを知りたいのかを明らかにすることが重要だ。ただやみくもに「いまわたしがいったことについてどう考えるのか、教えてほしい」と問うのではなく、「わたしの提案は成功すると思いますか? 成功しそうにないと考えているなら、何がその妨げになっていると思うか教えてもらえますか?」とたずねるほうがいい。具体的にどの部分に関する考えを知りたいのかをはっきりさせなければ、相手がいくら話してもこちらの知りたいことは出てこないだろう。
3.こちらが勧めた行動をとる意思があるかどうか
・こちらが勧めた行動をとる意思があるのかどうか。たとえば、次のようなかたちで答えを要求できる。「打ち合わせを1週間延期してもかまわないかどうか、教えてくれません
集団に対して要求する
集団に向かって話しをする場合、どのような反応を返してもらいたいのかが明確でなければ、多くの時間が無駄になる。
ある男性が口火を切り、最近の新聞記事を紹介した。マイノリティの母親が、娘に対する校長の態度に不平と懸念を訴えたという内容だった。これを聞いていたある女性出席者から反応があった。同じ学校に生徒として通っていたときに遭遇した状況を彼女は述べた。ひとり、またひとり、メンバーは記事に関係する個人的体験を述べた。 20 分後、わたしはグループに対して質問した。現在のディスカッションでみなさんが必要としていることは満たされていますか、と。「はい」と答えた人はひとりもいなかった。「会合のたびにこうなるんですよ!」。ある男性が腹立たしげに発言した。「ここに座って毎度同じ繰り言ばかり聞かされるなら、もっと自分の時間を有効に使いたいですね」
そこで、わたしは口火を切った男性にたずねた。「あなたは新聞記事を紹介しましたが、それに関してメンバーからどういう反応を望んでいたのか、聞かせてもらえますか?」。「興味深い記事だと思ったのです」。彼は答えた。記事についての見解ではなく、グループのメンバーからどんな反応が返ってくるのを期待していたのかを教えてもらいたいのだというと、彼はしばらく思案し、「何を望んでいたのか、はっきりしていませんでした」と認めた。
対応プラクティス
この男性は自分がどんな点について反応を求めているのかを定義しなかったが、そういう場合に他のメンバーがこんなふうにたずねることができる。「あなたの話に対してどのような反応を望んでいるのかがはっきりわかりません。わたしたちにどのような反応を期待しているのか、説明してくれますか?」。こうすれば、グループの貴重な時間が浪費されずにすむ。
バステクニック
誰が必要としていることも満たされないまま、会話がだらだらと続いていく、というケースはよくある。これは、会話を始めた者が期待していたことを得られたかどうかが明確でないからだ。インドでは、会話を始めた者が期待どおりの反応を相手から得たら「bas」(バス)と告げる。この言葉の意味は、「もうそれ以上話す必要はない。わたしは満足し、他のことを始める準備が整っている」というものだ。わたしたちの言葉にはそういう語彙が存在しないが、どんなやりとりにおいても「バス意識」を成長させ、広めることはおおいに意義がある。
要求 VS 強要
こちらの言葉が強要しているように聞こえる場合、相手には、服従と反抗のふたつの選択肢しか見えなくなる。
要求に応じなければ非難されたり罰せられたりすると思われてしまうと、要求は強要と受け取られてしまう。強要されていると相手が受け取れば、ふたつの選択肢しかなくなる。服従か反抗か。どちらをとるにしても、聞き手は要求する側を強制的な存在と認識し、共感をもって応じようという気持ちは薄れていく。
過去に相手がこちらの要求にこたえなかったときに、相手を非難したり、罰したり、相手に「罪悪感を抱かせた」りしたことがあればあるほど、要求が強要として受け取られる可能性は高い。しかも、他の人が同様の仕打ちをしていれば、そのぶんも上乗せされる。要求されたことに応じなかったことで非難され、罰せられ、罪悪感を植えつけられたという経験の度合いに応じて、人はその後のあらゆる人間関係にその経験を持ち込み、どんな要求であっても強要として受け取ってしまいがちである。
https://gyazo.com/ae5fbc564f639765d5f43b4196157c78
要求か強要かを見極める
相手が受け入れなかったとき、相手がどのように行動するかで要求か強要かが分かる。
強要の場合
相手を非難する
あなたは自分のことしか考えていない!
相手を裁く
あなたはその態度を改めなければならない!
相手に罪悪感を植え付ける
あなたは私をないがしろにしている!
要求の場合
相手にとって必要としていることを理解する
あなたにはゆとりが必要なのですね。
相手から拒否の返事が返ってきたら諦めるわけではない。相手が受け入れない理由を理解することを始める。
相手が応じないときにこちらがどう反応するかで、強要なのか要求なのかが相手に伝わる。こちらが頼んでいることを相手がしたがらない場合、その理由に共感した理解を示すつもりがあれば、それは強要ではなく要求であるとわたしは考える。強要ではなく要求だからといって、「ノー」という返事が返ってきたらあきらめるという意味ではない。相手が「イエス」といわない理由に共感するまでは、説得しようとはしないということである。
https://gyazo.com/86f253d02cc60b023d4bbdc4c2b0b0c9
要求を出すときには自分の目的を明らかにする
純粋な要求を伝えるには、自分の目的を自覚しておくことが必要だ。人に変わってもらいたい、人のふるまいを変えてもらいたい、あるいは自分の思いどおりにしたい、ということだけをめざしているなら、NVCは適切なツールではない。NVCのプロセスは、あくまでも相手が進んで思いやりをもってできるときにのみ、人が変わること、反応してくれることを望む人々のためにデザインされている。
NVCの目的は、人と人とのあいだに誠実さと共感を基盤とした絆を結ぶことだ。自分の主な目的が相手と質の高い絆を築くことだということ、そして自分はこのプロセスで全員が必要としていることを満たそうとしているということを相手が信頼してくれれば、わたしたちの要求が要求にみせかけた強要ではなく、あくまでも要求なのであると信じている。
この目的を絶えず意識するのは簡単ではない。とりわけ、親や教師、管理職をはじめ、まわりの人に影響を与えて行動面の変化を促すことをめざす仕事をしている人にとっては難しい。
事例
あるワークショップで、昼の休憩から戻った女性がわたしに話しかけてきた。「いったん家に戻って試してみましたが、うまくいきませんでした」。わたしは、くわしい経緯を説明してほしいと頼んだ。
「家に戻って、ここで練習したとおりに自分の感情と必要としていることを表現してみました。息子への批判も決めつけもしませんでした。ただ、こういったんです。『あなたが自分でやるといったことがまだ済んでいないのを見ると、がっかりしてしまうわ。家に帰ったら部屋がきれいに片づいて、あなたがやるぶんの家事が終わっているのを見たかった』と。それから息子に要求をしました。すぐにそうじをしてくれと」
「4つの構成要素すべてを明確に表現できたようですね。それで、どうなりました?」
「息子はやりませんでした」
「それで?」
「わたしは息子に、怠惰で無責任なままでは生きていけないわよ、といいました」
この女性はまだ、要求と強要の区別がついていないことがわかった。彼女は、自分が出した「要求」に相手が従ったときのみ、このプロセスがうまくいっていると考えていた。このプロセスを学びはじめたころには、根底にある目的を自覚しないまま、ただ機械的にNVCの4つの構成要素を組み立ててしまいがちだ。
たとえ自分の目的を意識して配慮しながら要求を表明しても、相手は強要として受けとめてしまう場合がある。とくにこちらが立場の強い側にいて、相手に権威をもつ威圧的な人物との体験が頭にある場合は、そうなってしまう。
あるときハイスクールの経営者に招かれ、教師たちを対象に話をしたことがある。教師に協力的ではない生徒とコミュニケーションをはかるために、NVCをどのように役立てればいいのか、という内容だった。
そして、生徒 40 人と話をすることになった。「社会的に、そして情緒的に不適応を起こしている」と判断されている生徒たちだという。わたしは彼らが、そのレッテルどおりのふるまいをしている様子に愕然とした。あなたが生徒だとして、このようなレッテルを貼られたら片っ端から抵抗して学校で勝手放題してやれという気分になるのは無理もないのではないか。人にレッテルを貼るという行為は、わたしたちが懸念する行動を引き起こすように相手を誘導する接し方といえる。それで相手が問題行動を起こせば、ああやっぱり自分の見立ては正しかったと再確認する。この生徒たちは、自分が「社会的に、そして情緒的に不適応を起こしている」と分類されていることを知っていた。わたしが教室に入っていったときに、大部分の生徒が窓から身を乗り出して校庭にいる友人たちに暴言を吐いていたのだが、それを見てもわたしは驚かなかった。まず、彼らに要求を出した。「みなさん、どうか席についてください。みなさんが席についたところで、わたしの自己紹介をして、今日みなさんとしようと思っていることについてお話ししましょう」。半分ほどの生徒が席についた。全員に聞こえたのかどうか確信がなかったので、要求を繰り返した。すると、ふたりの男子生徒を除いて全員が席に座った。ふたりの生徒は窓の桟にもたれている。運が悪いことに、クラスのなかで彼らはいちばん大柄だった。
「すまないがきみたちふたりのうちどちらか、いまわたしがいったことがどう聞こえたか教えてくれないか」。ひとりがこちらを見て、鼻を鳴らした。「俺たちに席につけっていった」。「やれやれ、彼らには要求ではなく強要と聞こえたんだな」とわたしは思った。 わたしは大きな声で呼びかけた。「サー」(彼らのように二の腕が筋肉で盛り上がっているタイプの人間には、わたしはつねに「サー」と呼びかけることにしている。相手がタトゥーを誇示していれば、なおさらだ)。「教えてくれないかな。きみに対する要望があるんだが、どうしたらそれを偉そうに聞こえないように、伝えられるだろうか」。「なんだって?」。権威ある側から強要されるのに慣れっこになっていたので、わたしの異なるアプローチに彼は面食らった。「わたしはきみに対して望んでいることがあるんだが、あくまでもきみの意思を尊重したい。それをわかってもらうには、どうしたらいいんだろうか?」。それを聞いて彼は一瞬躊躇し、肩をすくめた。「わからない」
「きみとわたしのいまのやりとりは、今日ここで話そうと思っていたこととぴったり一致しているんだ。人に対していばり散らしたりしないで要望を伝えることができれば、誰もが楽しくやっていけるとわたしは信じている。わたしがきみにこうしてほしいと伝えたとしても、きみにそれをしろと命じているわけではない。どうすれば、わたしがきみたちの意思を尊重していないと思われずに、わたしが望んでいることを伝えられるだろうか」。どうやら彼らに通じたらしい。彼らはぶらぶらとした足取りで席についた。わたしはほっとした。このように、こちらの要求を相手にありのまま理解してもらうには少々時間がかかるという場合もある。
強要思考
・彼は自分が汚したら掃除を〝しなければならない〟。
・彼女はわたしが頼んだことをする〝べきである〟。
・わたしの給料は上がって〝当然〟だ。
・彼らを残業させたことは〝まちがっていない〟。
・わたしはもっと休暇をとる〝権利がある"。
必要としていることについて、こういうかたちで考えてしまうと、相手がこちらの要求にこたえてくれないとき、相手を裁いてしまう。わたしがそういう独善的な考えにとらわれたのは、下の息子がゴミを出さないときだった。家事の分担を決めた際、息子はゴミ出しを担当することに同意した。しかし、わたしたちは毎日ゴミ出しでもめていた。わたしは毎日、息子にいってきかせた。「これはきみの仕事だよ」「ひとりひとり、仕事が決まっているんだよ」などと。わたしの目的はただ、息子にゴミ出しをさせることだけだった。
まとめ
NVCの第4の構成要素は、「人生を豊かにするために、お互いに何をしてもらいたいか」の要求だ。あいまい、抽象的、漠然とした言い方を避け、肯定的な行動を促す言葉で要求する。つまり、自分は何を要求「しない」のではなく、何を要求「している」のかを述べる。
相手に何かを伝える際には、相手から得たいものが明確であればあるほど、それが得られる可能性は高くなる。こちらが発信するメッセージを、相手がそのまま受け取っているとはかぎらない。そこで正確に届いているかどうかを確認する方法を身につけておく必要がある。とりわけ集団に対して何かを表明する場合は、相手にどのような反応を求めているのかを明確にしておく。さもなければ非生産的な会話が始まってしまい、グループとしての時間を有効に活かすことができない。
こちらの要求に応じなければ非難されたり罰せられたりすると相手が信じている場合、要求は強要として受け取られてしまうだろう。相手が進んでこたえられるときにのみ応じてほしいというこちらの望みを伝えれば、強要ではなく要求していることを信じてもらえる。NVCの目的は、自分の思いどおりにするために人を変えたり人のふるまいを変えたりすることではない。誠実さと共感を基盤とした絆を相手とのあいだに確立し、全員が満たされた状態をつくりだすことだ。
図を描く
NVC・イン・アクション 親友の喫煙をめぐり、恐れを共有する
要求を表現する
エクササイズ④ 要求を表現する
要求を明確に表現することについて理解できているかどうかを確認してみよう。次の文章のうち、話し手が、相手にある行動をとってほしいと明確に要求していると思われるものに丸をつけてみよう。
1 「あなたにはわたしを理解してもらいたい」
2 「わたしの行動であなたが高く評価していることをひとつ取り上げて、話してほしい」
3 「あなたにはもっと自分に自信をもってもらいたい」
4 「あなたにはお酒をやめてもらいたい」
5 「わたしらしく、いさせてほしい」
6 「昨日の会議について、正直なところをわたしに話してほしい」
7 「制限速度以下で運転してください」
8 「あなたのことをもっと知りたい」
9 「わたしのプライバシーを尊重してください」
10 「もっとひんぱんに夕飯をつくってほしい」
出典