AsianPLoP 2010
アレグザンダーは、「名付けられぬ質」の創造こそ、パタンランゲージによる建物、環境づくりの究極の目的と、第1巻「時を超えた建設の道」の第1章で明快に述べた。
この第1巻がパタン・ランゲージ・シリーズ3巻のうちでは、理論的解説、定義の本と位置づけられていたので、期待して読み始めたにもかかわらず面食らった人が多かったのではないかと思う。パタン・ランゲージが、批判を受け入れ修正が可能な自由な発想に裏付けられ、機能的アイデアに満ちているのにもかかわらず、その目的である「質」の定義の曖昧さに驚いてしまったひとが多かったのだろう。またこの「質」という言い方も変わっている。
もちろんこの質を、「生き生きしたもの」「全体性をもつもの」「美しいもの」「正確なもの」などその他いろいろなわかりやすい言葉によって説明しようとする試みはなされてはいる。しかし、どの言葉も正確にこの質を特定できていないと結ぶ。そしてこの「質」をうみだすには、できるだけ生き生きした「パタン」を多用することと指示されているだけである。生き生きしたパタンとそうでは無いパタンと、どうやって区別すれば良いのかという疑問も残る。
最も、面食らうのは、この「生き生きした質」=無名の質が、個人の「主観性」にゆだねられているところだろう。この名づけられぬ、定義できない実体が理解できない、あるいは、感じとることのできない者にとっては、ただ、自動的にパタンという、かたちのルールを、設計に適用していけば機械的に、そういう結果を持った環境・建築がうみだされるということなのだろうか。一体パタンとこの質の創造はどうつながっているのかについて、ほとんど、説明されていないのが問題なのである。
もう一つの問題は、「ランゲージ」ということばにもある。パタンを組み合わせて、ランゲージ化し、無限にストーリーをうみだしていく事と説明されている。これは、単語とセンテンスの関係と同じと例示しているが、「パタン」が単語と同じという論理的な説明もない。実は、パタンの合成は、目をとじて、頭の中でイメージ化することで、ストーリー化(ランゲージ)して実現するが、このストーリーづくりには、視覚的空間が絵本のように浮かんでいなければならない。ひとつのイメージにまとまっていくためには、パタンのボトムアップロセスの理論化が必要である。このボトムアップロセスを支配するのが、この「無名の質」なのである。(この説明は、センタリングの項目に書いてある)同じパタンを使っても個人によってまったくちがうランゲージイメージがうかんでいるはずである。あくまで言葉としての合意がパタンランゲージの合意のことである。
実際の形はあくまで、現場(敷地あるいはそれが実現する場)でうまれてくる。しかし、それにしてもこの質が共有されていなければ、プロセスが成立しない。ここに、「質」の理解を深めてておかなければならない理由がある。