村井純
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村井純
工学部 相磯研究室
1984年、数理工学博士課程を修了、東京工業大学総合情報処理センター助手 1984年、JUNETを設立。(東工大と慶應義塾を接続) Unix and me
今日一番話したかったのは“Unix and me”というテーマ。俺が研究室に入った頃(著者注:先生の経歴によると1980年前後)にはPDP-11/10というマシンがあって、最初にさせられた仕事が「OSのソースを書け(リバースアセンブルして改造)」だった。PDP-11には最初RSX-11っていうOSが載ってたんだけど、見ているうちOSというものがわかっていった。ビットパターンを見ているだけで命令がわかる程にね。 その頃Unix 7th Editionや2BSDと呼ばれる、UnixというOSが現れた。Unixとはハードウェアベンダーが作ったOS部分を乗っ取るような存在。ベンダーがベストチューンしたOSより大抵遅いんだけど、その代わり自由が手に入った。ここがUnixで俺が一番好きだった発想なんだけど、即ちユーザー主体のプラットフォームという考え方が出来上がった。それで、このUnix 7th EditionにはUUCP(著者注:主に電話回線によるコンピューター接続)のコードが埋め込まれていた。 発端はオペレーティングシステムだった
発端はオペレーティングシステムだった
ハードウェアとシステムソフトウェアの関係に夢中になった。プログラミングとそれによって指示するコンピュータの動作は、私の目の前のデジタルテクノロジーの無限の魅力の扉を次々と開いていった。コンピュータが繋がって連携し、利用者にあたかも一つのコンピュータであるような幻想を与える分散処理も魅力的だった。負荷分散や耐故障性、そして、コンピュータが勝手に判断して動作する自律分散制御には夢があった。
時代といえば、1985年の電気通信事業法の施行は、WIDEプロジェクト誕生への大きな節目となった。1984年から開始したJUNETの構築は当然、社会全体の混乱と躊躇の中からネットワーク時代への試行を意味していたからだ。 JUNETの挑戦を、常時接続の自律分散システムへと展開する議論をしたときに、重要なイメージを共有したことが忘れられない。「世界中のコンピュータが全部つながって、分散システムとして動く」。これがWIDEプロジェクトの始まりの理想像だった。大規模広域分散環境、地球全体がゆるやかな分散システムとして動く。この理想に向かってスタートを切ったのがWIDEプロジェクトであった。