八谷和彦さんの羽根
視聴覚交換マシンの筐体を隠すための羽根
某氏はディスってた
僕は「羽根」のような、取ってつけたようで、非本質的な枝葉こそ大事だと思う
それが質感として好みかどうかは置いといて
ぼくはなんか、飛ぶことへのオブセッションが無意識ににじみ出ていたような気がして、なんか蜂屋さんらしいなっておもう
「羽根」的な人間臭さのない作品は、論文とデモにしたほうが素敵とすら思ってる節がある
ホワイトキューブにすんなりと鎮座し、いかにもメディアアートっぽさを感じる作品よりかは、そういう余計なことをしちゃった感じ、本人の好み、手癖が紛れ込んじゃった感じに、なんというか愛おしさのようなものを感じるのかな というか、「余計なことをしていない感じ」もまた、一つのトーンでありフォームなんだよね。それは「何もしない」ことによって自ずと生まれるのではなく、作為をもって作品の装いのエントロピーを下げることによって成し得る、ある種のデコレーションなんだよね
たんぽぽ問題とも関わりがある気がする
HMDってだいぶ小型化されたが、最近のマシンにはまだ羽根は付いてるのかな
2020年の再制作では付けていたようですよ
この時点でもすでにデバイス的には背負う必然性なさそうですよね。私もこの羽根は気になっていました。自分のメディアアートの授業ではステラークの後に紹介しています