ucnv
論考・テキスト
めちゃくちゃ緊張感がある
「Generativemasks」プロジェクトは彼の活動として違和感のあるものだった。彼が見据えるテクノロジー+コミュニティとどう関わっているのだろうか。テクノロジーとコミュニティ以外の側面があまりに大きいように思えた。だから、私は極めて批判的な問い「なぜやったのか?」を、機会があれば聞いてみたいと思った。はじめは、だれか別の人によるインタビューに同席させてもらい、横からエグい質問を1、2個差し込む程度が適当だろうと考えていた。しかし、結局のところ私自身がインタビュアーとなった。だから私は、10年という旧知の関係と批判的視線とを、混在させながら問いを投げかけている。
コミュニティーが発展するのはいい、色んな人を巻き込めるのはいい、で、そこから具体的に何が生まれるの? という問い
ミームの自己複製への欲望だけは、これ以上「なぜ」とは問いようのない摂理なんじゃないか
その上で、そうした自己複製能の高いミームに寄生された「容れ物」たる人として、なんかこう、いろいろ、自覚的(?)でありたい
僕はコミュニティの裾野を広げることの意義をある意味功利的に捉えている節がある
モンテカルロ法のサンプル数は増えれば増えるほど良いよねっていう。大数の法則的な
9割9分のクリシェの魑魅魍魎の上澄みに、本当に突き抜けられる作品が、人が生まれるかもしれないという
某人(結構ベンダー寄りな方)「クソの山の上に、一粒のqubibiが生まれただけでもFlash文化には存在価値があった」
ひどい言い草だと思ったけど、同時にすごくツールベンダー側の人間として信頼のおける方だなと思った
takawoさんの歴史化への意識はこの頃から始まっていた?
海外から見ると、日本のジェネラティブアートのシーンは独特で面白いんだけど、歴史との接続が全くされてないがために評価されていない、という側面がある。だからそこを支援することはすごく意味があるし、目的意識がありますね。
第二弾をやってほしい
離散派