デザインにできないこと
Termiology
ブリコラージュ
disillusion - 幻滅
アポフェニア
disintermediation - 仲介者の排除による直接取り引き
deskilling - 専門性の解体
が起きた時: 役に立たなくなった技術的能力を、拡張された文化的な能力に置き換える
「ソフトプロセスの向上」
けど人文主義的なアプローチはあまり儲かりそうにないね
digital vanacular
デザイナーなしのデザイナー
経済価値に取り込まれるデザイン
デザインが依然として使用価値や交換価値(特に後者)を高めるために利用されていることは間違いない p.28
Design Pannism
既存の状況を“よりよい”ものに変えることを目的に一連の行動を考え出す人はみな、デザインをしているのだ。
ハーバート・A・サイモン『システムの科学』 p. 111
ひどいデザインは多様な複数の世界を一次元的で無菌状態の単一状態へとフラット化してしまうが、よいデザインの場合には、これらの多様な世界を育むのである。 p.76
クリエイティブ・コーディングはフラット化しないデザインの恒例
「コンピュテーション文化が追い求める効率化の意欲を超越する」
全てを過度に一般化してしまうべきではない。なぜなら、それは生きた営みを抽象化してしまい、無個性な「解像度の低い」見本として取り扱うという、資本家の片棒を担ぐことになるからだ。(だいぶ変えたが、良いなと思った表現)
マーケティングリサーチ、コンサル会社だったんだ
自己そのもののスキル化
デザイン学校のプロフィール重視
専門スキルを磨くのではなく、「自己そのものがスキルになった」状態を目指す
モダニズムか、ポストモダンか、Defaults
モダニズム - less is more
ポストモダン - 過剰さ, complexity
計画者と実行者の分離
個人的にはデザインを禁止したい。近代が生み出した最も権威主義的で迷惑な慣習のひとつが、デザインだ。デザインとは、適切な人間活動において最も顕著な結果、つまり創造活動に含まれるが、計画と実現という行為が分離されたことで死に絶えてしまっている。これがデザインなのだ。p.83
知的な職人技能
技術的な領域で身を立てることができなかったデザイナーは、人文的な領域に身を置こうとする。これは、(もはやエリートではなくなった)技術的エリートを、技術の「意識」としての知的な疑似エリートに置き換える行動であり、ほぼ無意識ではあるが懸命な動きである。
マルドナード: デザイナーは「技術の知識人」である
テクニシャン(技術者)とテクノロジスト(技術専門家)
ブルデュー、支配階級の下層にある人々、「テクニシャン、つまり、経済的、政治的、文化的権力を持たない実行者である」
工芸の定義「仕事をそれ自体のために、立派にやりとげる」(リチャード・セネット)p.306
有機的な知識人は、肉体労働と精神労働を融合させることができ、何かを行って作る行為から「新しい思考様式」を構築する。彼らのスキルは、技術的であると同時に理論的でもある。
エレン・ラプトン(p.278)
スマート文化と貢献文化 p.310