とりとめのない自由
要するに:ジャムの法則なんてクソ喰らえ、ジャムは多ければ多いほどいい ※ ジャムの種類を増やすことを自己目的化すべしという意味ではなく、選べたはずのジャムを在庫棚の奥に隠すおせっかいはするなという意味
カスタマイズできるようにする
カスタマイズ性を制限したソフトは一見シンプルで覚えやすいように思えるが、本来ユーザーが触れたはずのスイッチを制御盤の奥に隠し込んでいるだけ
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ユーザーに仕様を覚えさせるのではなく、ユーザー自身に設定させる
そのほうが覚えやすい
ショートカットの設定
入力と操作の対応付けを任意に設定できるようにする
愚行権を認める
禁止ではなく、非推奨にする
Rubyの設計思想にあったような
通常「角丸半径」に負の値を設定することはできないが、何らかの方法でリミッターを解除できるようにする。⌘マークが描けるね
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UNIX的なアプローチが大混乱を引き起こしかねないことは容易に想像がつく。UNIX環境は選択肢にあふれ、制約がほとんどない。何をする場合にも、10通り以上の方法があるだろう。このとりとめもない自由が、初心者の神経を絶えられるぎりぎりまで追い詰めてしまう。コマンドを選び間違えてデータを破壊し、どうしたらよいかと途方にくれる。しかし最後には、ほとんどのUNIXユーザーの混乱は、UNIXを理解することによって静まっていき、ユーザーは人為的な制約より柔軟性と順応性とを好むようになる。
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何をする場合でも、ユーザーにはただ一つの方法しか与えてはならず、その方法は誰の目にも明らかでなければならない。間違いの起こる余地を極力なくし、そのためには選択肢の制限もやむをえない。UNIX的な柔軟性や順応性の行き着く先は混乱でしか無い。
Atariのアプローチからは、一般人にピストルなどもたせたら自分の足を撃ち抜くかもしれないという考えが読み取れる。これと対象的に、UNIXシステムは、初心者にピストルどころか突撃銃を押し付け、20発の弾を込めた上で、重厚を足に向けさせてやる。
P.137
銃の下りは、ハッカーが伝統的にリバタリアンであり、銃規制反対派も根強いことの文字通り説明にもなっているように思えます。Eric Raymondなんかもそう。 最初は、あまりの柔軟性にユーザーはとまどい、選択肢の多さに圧倒されるかもしれない。しかし、最後には、多くのオプションを利用するほうを選び、その学習に時間をかける。一定のレベルに達すると、もう、他のオペレーティングシステムに戻ることは難しい。UNIXにかけた時間がある一点を越えてしまうと、そのまま放り出してしまうよりは、気に入らない部分を変更しながら使い続けるようになるのだ。
「Apple社のMacintoshのようなシステムと違い、UNIXはユーザーに学習を強制する」というUNIX批判がある。ユーザーインターフェースの学習に相当な時間をかけないと、システムを生産的に使えるようにならないというわけだ。また、UNIXでは、自分の足を撃ち抜くようなことだって起こりかねない、と非難する人もいる。確かにそうかもしれない。しかし、同僚のジョン=ホールのように、駆け出すことも許してもらえないより自分の足を撃ち抜くほうがずっとましだ、という人もいる。
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そもそもmacOSはUnix系。とりとめのない自由は、その自由さゆえに、初学者を混乱させないための見かけ上の自由のなさをもその内側に構築することができるので、。