No-Code
Web制作に限らずコンピューターにおけるあらゆる表現の背後には「コード」の存在がある。IllustratorですらPostScriptに対する「ノーコード」と言える。(変数、ジェネラティブな図形の描画といったプログラム可能性は犠牲になっているが)3DCGにおけるDCCツールは、レンダラーに対するGUIスキンだったこともある。つか全部のGUIの存在意義は「ノーコード」。じゃあ、「ノーコードサービス」において、何が「ノーコード」なの?
コードで作ることが本領とされていた領域に、WYSIWYG的なインターフェースを導入する。うん、確かに「ノーコード」かもしれない e.g., ホームページ・ビルダー、LaTeXに対するMicrosoft Word
...けどそれって「WYSIWYG」で良くない?
ただ「ウィジウィグ」と読みづらいのはわかる
けど何か映えるバズワードが欲しかったんでしょう
Studio、好きな人がたくさん所属してるんだけど、サービス全体のアティチュードとして、Cosenseに比べて文化的に貧しいって思ってしまう。「Studio経済圏」とか語っちゃうところなど 「文化的な貧しさ」というのがミソ。機能面では、Vue.jsの使い方やCSSのビジュアルな編集機能など、Figma以上にすごくうまく実装されている
embed機能はあるといえ、(触った限り)HTML energyのほんのサブセットでしかないものを「ノーコード」と称する姿勢は寂しくもある。最近作ってたCMSはクライアントの方にHTML、YAML(frontmatter)、Markdown、gitの基本を覚えてもらったっけ。 ただ、確かガビンゼミでもそういう話になったんだけど、別にコードはtextualであるべきとも思ってなくて。ぼくはプレーンテキストは好き。だけどコードのエッセンスはprogram dependence graphであって、ノードUIだって同等の表現はできる。GUIアプリをつかうことは、部分的にはすでにコーディングなんじゃないか。 ただその「ノーコードツール」を自称するGUIが、どの程度コードのもつturing completeness(Olia同様濫用的な用法ではあるが)に漸近しているか、あるいはその限られたサブセットなのかについて、作り手はある程度誠実であってほしい。高階関数は扱えるのか、マクロは?、無限ループをユーザーの愚行権として埋め込めるのか?、とか。