抱負
抱負なんてもので行動を変えられるほど、自分の自律心に期待しちゃいない
忙しくなさ
今年も忙しくなくありたい。去年は勝手にフィーバーしている時と撮影日を除いて、徹夜をしなかった。もう少し時間の使い方はマシにしたいけど
「忙しい」と公言することについて
健康で、誰かをケアする必要も家事労働もそこまで必要ない、それなりに少ない割合の人だけが忙しくできる。忙しい人があまりに多すぎて、充実したり、良い作品をつくるためにはもれなく忙しくしなといけない、と思い込んでいたところがあった
八谷さんだったかが、人の仕事なんて、最高の2, 3個くらいしか覚えてられないって言ってた。だからむやみに多作であるよりも、最高の数個の仕事を、末永くお手入れするように取り組んでいくのも一つの戦略なんじゃないかって
僕もそのスタンスでありたい
世の中の作り手には、作品そのものが印象的な人と、なんか活躍してる感じのする人とがいる。(連続体だが)前者は久野遥子さん、折笠良さんみたいな人。数は少なくても、一つ一つにしゃんと時代的耐久性があれば、腰を据えて、かつ肩の力を抜いて制作に取り掛かることができる。なんか活躍してる感じの人は、忘れられないため、過去の人にならないために、常に忙しくする必要がある。ブイブイ言わせてる感を醸す必要がある ベッキーが、心を亡くすと書いて忙しいって言ってた。忙しさを公言できるということは、忙しい、つまり心身ともにスッキリしていない状態でもできる程度のことしかしていないと明言しているようなもの
Glispの評価器や型推論の実装は、絶対に忙しくないときにしか出来ない複雑な仕事。今年のどこかで、ゆっくり、リラックスして取り組みたい
ニューメディア表現は元来エフェメラルなものだ、という言い訳を潰していきたい 日記はダメで、ブログもダメで、Xのようなマイクロブログは関係のない情報をダラダラと見すぎてしまう。Cosenseを通してZettelkastenを取る習慣がついた。よかった。多分どこかでObsidianに乗り換えるけど 臨床と研究
ボースティングでもなく、世の中のほとんどの人は、baku89.iconにとってのEYEやFly、あるいはかむかも remixほど芯の喰った作品は一生作れない。それは別にわるいことじゃない。医学を前進させなくとも、街のお医者さんとして、多くの患者さんの健康を守ることには代え難い尊さがある。表現の世界にも、研究、臨床あるいはコメディカルのような棲み分けはあるんじゃないか