道具性
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道具性というのは実際の道具のうしろにあり、ある物体で我々が釘を打った時にそれをハンマーたらしめるものです。古代の道具性は主に物理的なものに憑依していましたが、それはやがて紙のような抽象的なメディアへ広がり、今ではユーザーインターフェースというダイナミックな光に取り憑いたのです。 道具をデザインすることには際限のない魅力がある。それは道具が本有する再帰性への展望的な投機だ。道具の中には、使うことと作ることが、同時的に、生き生きと連関している。その永遠なるランループに、私たちは耽溺してしまうのである。 https://gyazo.com/6eccee1beb705d16726496fc2c306d33
ハイデガー風に言えば我々にとって世界とは道具性の意味連関のことであり我々もまたその内側にいる。道具を作るために我々は道具を使う。道具連関という複雑系はオートポイエティック(自己創出的)(追記:オートポイエーシス)だ。デザインはそのきっかけとなる「偶然のゆらぎ」を引き起こすものである。 腹落ち感めちゃめちゃあるggkkiwat.icon
人間は道具を作るための道具を作ることができる
他の動物はすることができない
人に迎合していない道具に惹かれる。たとえば伝統的な楽器の多くは人が奏でやすいような形をしていない。また実際うまく奏でるのは難しい。道具性のポテンシャル、素材のオネスティに導かれたデザイン。物のネイチャーが先にあり、後から人が工夫しながらそれを借景しているようなのがよい。