狂人とは理性以外のあらゆる物を失った人である
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詩が正気であるのは、無限の海原に悠然として漂っているからである。ところが理性は、この無限の海の向こう岸まで渡ろうとする。(p20) 狂気の最大にして見まごうかたなき兆候は、完璧の論理性と精神の偏狭とがかく結合していることにあると言えよう。(…)狂気に陥りかかった精神を相手にする場合、われわれの努めばならぬのは、相手の論理の穴を突くことではなくて、空気抜きの穴を開けてやることなのである。同じ一つの論理に固執しつづければ窒息してしまう。だから、この論理の密室の一歩外には、晴れ渡ったすがすがしい世界が広がっていることを知らせてやらねばならないのだ。(p25) われわれはすでに、狂人の最大の特徴が何であるかを見た。無限の理性と偏狭な常識の結合である。(p29)
けれども唯物論的宇宙の牢獄は、決して破ることのできぬからくりであった。なぜなら、われわれ自身もそのからくりの一部にすぎないものであったからだ。そこでは、われわれは何事もできないか、そうでなければ何事かをせざるをえない運命に縛られるかであった。神秘的な条件が存在し、制限が存在するという観念はことごとく姿を消していた。(p103) 彼らの世界にも普遍性はあるが、一人の頭を埋め尽くすほどの普遍性しかないよね
「狂人とは理性以外のすべてを失った人のことである」という命題は、人間心理における失関症→失感症→合理症という脈格のことをさすということになる。それは、おのれの合理にたいして付きれている前提と理念(追記:合理は所与の前提と理念の下に展開される)を「懐疑することなしに信仰する」ことである。(p65)