ロゴス/レンマ
public.icon
ロゴス・ロゴス的・ロゴス的な知性/レンマ・レンマ的・レンマ的な知性
同一律、矛盾律、排中律
石倉敏明.icon「レンマ的知性」とも呼ばれるこの働きは、物事を分別し、時系列的に整理することによって理解可能な意味のネットワークを作り出す「ロゴス的知性」と共に働きながら、その働きを包摂しつつ、分別を超えて問題の全体性を把握する直観的な洞察の方法として、仏教をはじめとするユーラシアの知恵の伝統において探求が進められてきました。(…)
アリストテレス以来のヨーロッパの論理学では捉えきれない、矛盾を孕んだ全体性の把握。それが東洋においてはレンマという論理によって捉えられてきた。先ほど紹介した中沢新一さんの『レンマ学 中沢新一』では、これを「対称性論理」と「非対称性論理」のバイロジック(複論理)構造なのだとも述べられています。我々は常にロゴスの世界で生きていると同時に、レンマの世界でも生きているのだ、と。つまり、先ほどお話した不確定性、人間が動物であると同時に動物ではないロゴス的存在でもあるとか、ウイルスは生きているけど生命ではないとか、人間とウイルスは共生せざるをえないけど共生しえないとか、こういうパラドクシカルな論理のレベルが現実に、刻々と目の前に生成しているわけですよね。これを「ロゴス的共生」を超える「レンマ的共生」の課題として捉えた時に、我々が今後向き合わざるを得ない、あるいは積極的に向き合っていくべき多元主義の方向性が見えてくるはずです。(p331-333)
コロナ禍をどう読むか 16の知性による8つの対話
パラドクシカルな存在
レンマ学 中沢新一
ロゴス的な知性
「事物をとりまとめて先鋭化する」
時間軸にしたがって伸びていく「線形性」「因果律」
言語・脳は違うものを「同じ」ものとして扱うので、ロゴス的知性と脳の働きとは一致する。
人工知能
レンマ的な知性
「直観によって全体をまるごと把握し表現する」
「非線形性」「非因果律性」
現在の一瞬の中に、過去に生起した出来事のすべてが凝縮されて入り込んでおり、未来に生起することのすべてが現在の瞬間の中に含まれている
大乗仏教の縁起の論理。華厳経が大乗仏教の発展初期の産物
粘菌
縁起の論理は啓示や恩寵の上に立ってないので、科学的思考とは相性がいい。しかし超越論的な一神教とは相性が良くない。(p54)
『華厳経』ではこのような菩薩が、レンマ的知性によってどのように世界をとらえているかを詳しく描き出している。
仏子のみなさん、菩薩はこのような十の知恵を我が物としているので、以下のような十の普遍に入ることができるようになります。十の普遍とはすなわち(1)いつさいの世界を一本の髪の毛の中におさめ、一本の髪の毛をいっさいの世界に広げていくことができ(2)いつさいの衆生の身体を一つの身体におさめ入れ、一つの身体をいっさいの衆生の身体に広げていくことができ、(3)言語で表現のできないほどに長大な時間を一瞬の思考におさめ、一勝の思考を言語で表現のできないほど長大な時間に広げていくことができ、(4)いつさいの経験(法)を一つの経験におさめ、一つの経験をいっさいの経験に広げていくことができ、(5)言語で表現できないほど広大な広がりを一つの場所におさめ一つの場所を言で表現のできないほど広大な広がりに拡げていくことができ、(6)無量の有情(生命)を一つの有情におさめ入れ、一つの有情を無量の有情に拡大していくことができ、(7)無量の非情(非生命)を一つの非情におさめ、一つの非情を無量の非情に拡大していくことができ、(8)いっさいの想念を一つの想念におさめ、一つの想念をいっさいの想念に拡げていくことができ、(9)いっさいの言語音を一つの言語音におさめ、一つの言語音をいっさいの言語音に広げていくことができ、(9)いつさいの過去、現在・未来の三世を一つの時間におさめ、一つの時間を三世に拡大していくことができるようになります。これを著薩が可能とする十の普遍というのです。(普賢行品第三十六)
これが 『華厳経』に名高い「一即多、多即一」、「一即一切、一切即一」の思考法である。(p65-66)
レンマはロゴスを包括する。ロゴスはレンマから立ち上がるが、その逆はない
西洋哲学史: 古代から中世へ 熊野純彦 p26
ロゴスとは相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない