ブリコラージュ
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それに対し、先住民の思考は「記号」を用いているとレヴィ=ストロースはいいます。これはたいへん面白い言い方で、記号には概念とちがってはじめから「ゆらぎ」や「ずれ」が含まれています。前回のヤコブソン言語学のところでも述べましたように、言語という記号では、隠喩(メタファー)と換喩(メトニミー)が基礎になっています。あるものを似ているもので表現するのが隠喩、似ていなくてもよいから近くにある別のものを持ってきたり、部分で全体を表現するのが換喩です。「女性」を「花」に喩えるのは隠喩ですが、「帆」で「ヨット」を表現するのが換喩です。記号は対象とぴったり合致することなく、たえずゆれ動きをはらんでいます。ソシュール言語学で言えば「シニフィアン」(意味するもの)は、「シニフィエ」(意味されるもの)からたえまなくずれていくということになります。すると「あり合わせの道具材料」を「記号」として用いるブリコラージュでは、「でき上ったとき、計画は当初の意図(もっとも単なる略図にすぎないが)とは不可避的にずれる」ということになります。 別に時代に別のところで考え出されたものを、今考えていることのために再利用するのです
無理くりアナロジーが肯定された気分