ミシェル・フーコーの「近代」考察
フーコーといえば『言葉と物』なんですが、『監獄の誕生 ミシェル・フーコー』とどちらを挙げるかは迷いました。フーコーは「近代とは何か」、そして「人間はどうして近代の終わりに立っているのか」ということをもっともきちんと考察した人です。そしてその一番まとまった本がこの本です。近代の終わりなんて皮相的だ、とか言うひとは、ぜひいちどこの本を味わって読んでもらいたいですね。 エピステーメー・・・特定の時代の思考の営みを集約的に示す(思考)の構造
ルネサンス期(16世紀頃まで)は「類似」に基づく知の枠組み。世界は巨大な「象徴」の体系である
古典主義時代(17-18世紀)は「表象」と「秩序」に基づく知の枠組み。言葉は、物を正確に「表象」するものと考えられ、世界は理性によって分類され、秩序づけられるべき対象である
近代(19世紀以降)は 「人間」の誕生と「有限性」の自覚。この時代には、「人間」が知の主体であると同時に、知の対象となる
「有限性」の自覚によって、「人間」概念が誕生する近代
人間が時間、生命、労働、言語といった制約の中に生きる存在であるという自覚を持つようになった
近代以前、特にキリスト教的な世界観においては、人間は神によって創造された被造物であり、その本質は神との関係において理解されていました。しかし、近代エピステーメーにおいて、人間は、神から切り離された、有限な存在として捉えられるようになった
「人間」は、歴史の中で生まれ、死んでいく存在(歴史的存在)、生命の営みの中に位置づけられる存在(生物学的存在)、労働を通じて自己を形成する存在(経済的存在)、言語によって思考し、表現する存在(言語的存在)である
「有限性」に関わる概念によって、「人間」が知の対象となる
歴史: 近代以前、歴史は主に神の摂理や王家の系譜として語られていました。しかし、近代に入り、人間は、永遠不変の存在ではなく、歴史の中で生まれ、変化し、死んでいく、時間的な制約の中にある存在(歴史的存在)として捉えられるようになりました。歴史学は、人間の社会や文化が時間とともに変化していくことを明らかにし、人間の有限性を意識させました。
生物学:近代以前、生物学は主に博物学的な分類学として存在していました。しかし、近代に入り、 人間は、他の生物と同じように、生命の営みの中に位置づけられる存在(生物学的存在)として捉えられるようになりました。生物学は、人間の身体が、誕生、成長、老化、死といった生物学的なプロセスの中に組み込まれていることを明らかにし、人間の有限性を意識させました。
経済学: 近代以前、労働は主に生存のための手段と考えられていました。しかし、近代に入り、人間は、労働を通じて自己を形成し、社会を構成する存在(経済的存在)として捉えられるようになりました。経済学は、人間が労働力として生産活動に関わり、欲望や必要を満たすために経済活動を行う存在であることを明らかにし、人間の有限性を意識させました。
言語学: 近代以前、言語は主に神から与えられたもの、あるいは世界を忠実に反映する鏡と考えられていました。しかし、近代に入り、人間は、言語によって思考し、表現し、コミュニケーションを行う存在(言語的存在)として捉えられるようになりました。言語学は、人間の思考や表現が、言語という体系によって制約されていることを明らかにし、人間の有限性を意識させました。
「人間」が初めて知の主体であると同時に、知の対象となり、「人文科学」を成立させる:「人間」の誕生
経済学: 人間の労働や欲望といった経済的側面の有限性を研究する(リカード、マルクス)
生物学: 人間の生命現象という生物学的側面の有限性を研究する(キュヴィエ、ダーウィン)。生物学の発展は、人間の有限性、特に死すべき存在であるという性質を意識させた
キュヴィエは、比較解剖学を通じて、生物の内部構造の関連性を明らかにし、生物を機能的な統一性を持つ存在として捉えました。これにより、生物は単なる分類の対象ではなく、生命という現象の研究対象となりました。 ダーウィンの進化論は、生物が時間とともに変化し、自然選択によって環境に適応していくことを明らかにしました。これは、人間の生命もまた進化のプロセスの中に位置づけられることを示唆し、人間の特別視を揺るがしました。 言語学: 人間の言語能力という言語的側面の有限性を研究する(ソシュール)
精神分析学:人間の無意識という精神的側面の有限性を探求する(フロイト)
これは、カント的な「人間」の捉え方、すなわち、理性を行使して世界を認識する主体であると同時に、経験科学(心理学、社会学など)の対象ともなる、という考え方と符合します。 個人の身体を詳細に観察・管理し、従順で有用な「従順な身体」へと仕立て上げる「規律権力」と、人口の出生率、死亡率、健康状態などを統計的に把握し、管理することで、生命そのものを統治の対象とする「生権力」が支配的になった時代。
「有限性」の自覚は、「人間」の終焉をも準備する
「有限性」の自覚は、「人間」の中心性や自律性を揺るがす
具体的な思想潮流
構造主義: 言語や社会の背後にある構造を重視し、人間の主体性や意識の役割を相対化しました。人間は、自律的な存在ではなく、構造によって規定される存在として捉えられるようになりました。 精神分析学: 無意識の存在を明らかにし、人間の理性や意識の自律性に疑問を投げかけました。人間は、自らの行動や思考を完全にコントロールできる存在ではなく、無意識によって突き動かされる存在として捉えられるようになりました。 ニーチェの影響: フリードリヒ・ニーチェの「神の死」と「超人」の思想は、フーコーに大きな影響を与えました。フーコーは、ニーチェの思想が、近代的な人間観の終焉を予告するものと考えました。 人間は歴史上のある時期に、言説の編成の変化によって、生み出されたものにすぎない。