記憶のコストが高い人と思考のコストが高い人
人間の特性として、「覚える方が楽な人」と「考える方が楽な人」があると思っている
世の中のいろんな差やすれ違いがこれに起因しているのではないかと感じるようになった
ちなみに私は明確に後者
私は受験生のころ英数国は問題なかったが、理科と社会が両方だめだったので進路選びに苦労した
これは興味関心もあると思うが、勉強法や理解の特性(つまり暗記への苦手意識)も関係してたと思っている
たとえば私は説明書を読むのが好きではないし、ショートカットキーを覚えたくない
「理屈で考えたらわかる道具」のほうが良い
私にとって毎回理屈で考えることのコストは、暗記することに比べれば大したものではない
「数学の試験勉強で、公式を覚えるのではなくその場で導出できた方が良い」みたいなことが日常生活の道具にもあると感じる
ショートカットキーは理屈ではなく、ただの暗記ゲーである
場合によっては「理屈で考えたらわかる道具」を目指すことを諦めた結果にすら見える
私は「みんながショートカットキーを駆使することを前提にすれば優れた生産性を発揮するソフト」がちょっと苦手である
Photoshop、Blender、ClipStudio、vim など
もちろん使いはするけど
逆に、ドキュメントやチュートリアルを事前に読み、それを覚えてから操作を始めたいという人が一定いるということも私は知っている
自分の関わるサービスやソフトウェアのユーザーにおいて、もしこっちが多数派だった場合私のインサイトはかなり役に立たないことになる
たぶん、両者の間では「直感的」という #言葉 の定義が異なる だからこそ、「直感的なUI」という言葉は使うべきではない(そこには欺瞞がある
これはコンピューターで「時間と空間のトレードオフ」と呼ばれる話に近そう
「メモリに持っておくデータが少なく済む方法は計算に時間がかかる」vs「計算が少なくて済む方法は覚えておかないといけないデータが多い」という話
これがたぶん人間にもある
最近のゆるコンピュータ科学ラジオにそういう話があった気がする
静的型付け言語は「考えるコストを払える人」には良い道具である
型パズルは難しいが、理屈で考えればわかるので安心感がある
逆に動的型付け言語のフレームワークは暗記を前提にしているケースがしばしばある
こちらの良さもそれなり程度には理解している、と思う
というより DHH がかなりこっちのタイプの人間なんだろうなと思っている
前に見た Go 言語が視覚障害者にやさしいという話もこれと関係しそう
目が見えないときに記憶のコストを払わされるのはつらいかもしれない、という話
コンピュータの便利さについて「自分の代わりに考えてくれる」を求める人と「自分の代わりに覚えてくれる」を求める人では価値観が異なる
たとえば「コンピューターなんて記憶と検索を肩代わりしてくれればいいんだよ」と思ってる人は AI に #価値 を感じにくいかもしれない なぜなら考えるコストは自分で払えるから
なので「自分より優れた思考をできるソフトか」だけが問題になる
でも「計算ミスを防いでくれる」とかは考えるのが得意な人にもうれしいかも