頭の中の雑音をひとつ残らず消去していくために鳴らされる音楽
私は昔から、
サティ
や
ドビュッシー
の音楽がどうしてもわからなかった。 音楽にせよ絵画にせよ、
印象主義
の芸術には意味を見出すことができず、 印象 ? それがどうした? おもしろくない、といつも思っていた。 小学生の時、どうしたら
ジムノペディ
がもっと 「聞ける」
音楽
になるか、ふさわしいドラムパターンを三日三晩探していたこともある。 でも今ならサティを少し理解できる気がする。 彼の音楽はおもしろいとかつまらないとか、聞ける・聞けないという次元の音楽ではなくて、
頭の中の雑音をひとつ残らず消去していくために鳴らされる音楽
なのだ。
Schoolgirl
九段理江
• 98ページ —悪い音楽より
これ、めっちゃわかる。昔はサティとか
ブライアン・イーノ
とか全然わかんなかった。最近はとにかく「ノイズを消してくれ!」で音楽をかける=聞くことが多い。