道具
普通「人間を道具に使うのか」という時、それは何となく生きていないもの、死物という風に考える。あるいは精神ではなく、物質という風に考える。「道具扱いをする」というと軽蔑の意味がある。しかし私は道具というものをそういうようには考えていません。道具というものは物と心が出会う場所であるというように考えています。福田恆存. 人間の生き方、ものの考え方 (文春学藝ライブラリー) . 文藝春秋. Kindle 版. 道具というものは決して単なる物質、物ではない。すなわち物ではあっても、必ず主体である私たちの精神とか心とかいうものの癖を受けているものなのです。福田恆存. 人間の生き方、ものの考え方 (文春学藝ライブラリー) . 文藝春秋. Kindle 版. 自分は道具、技術と生活の関わりに感心があるんだわ?と自覚してきた。 / SNSは便利な道具だけど、今や人間側が道具の奴隷。 / 鍬の奴隷になる農家はいないが、コンバイン購入維持のために、耕作面積はこれくらいでペイできる、ということが起きる。道具によって、仕事の規模を決められている。 / 流通の発達は生活に幅をもたらしたが、今やサプライチェーンの都合に合わせて農作物の規格サイズが決まり、流通コストに見合う量が確保出来ないものは商品にもならないということにもなる。 / 自作の屋台で団子を売ったら、その日を暮らせたのに、銀行融資を受けて店舗を構えると要はマイナススタートで、投資とリターンを上手に乗りこなし、いつの間にか事業を拡大する圧力にさらされる。 / 道具や仕組みの権限が生活の規模を超え、奴隷と主人が入れ替わる転換点があるようだ。 / 何だこれは。とモヤモヤが具体的な疑問になったここ最近。烏頭のおやま(の): "自分は道具、技術と生活の関わりに感心があるんだわ?と自覚して…" - Mastodon