漫才
漫才の基本は「偶然の立ち話」です。 ある2人がたまたま会ってしゃべり始める。 片方が変なことを言って、もう片方が突っ込む。 それがどんどん繰り返される。 もっというと、変なことを言うヤツ=ボケという「加害者」と、そのボケに振り回されつつ 「なんでやねん」 と問いただす常識人=ツッコミという 「被害者」 の2人がサンパチマイクの前で繰り広げる 「おかしな立ち話」 ――ということです。 そして 「偶然の立ち話」 なので、ボケがどんな変なことを言うのかをツッコミ側が 「知らない体」でなくてはいけません。答え合わせ 石田明13ページ もちろん漫才は作り物です。 台本を作って、 何度もネタ合わせをして、調整を加えつつ練り上げたものを持って舞台に立つ。それは見るほうもわかっている。 かつては「ネタ合わせ」 があること自体、 お客さんは意識していなかったかもしれませんが、今は完全にみんな理解しています。 それでも、「偶然の立ち話」 という設定のもで、どれだけ 「打ち合わせがない」 ように見せられるかどうか。 どちらかが変なことを言って、 どちらかが突っ込む、ボケの加害者が仕掛けてツッコミの被害者が打ち返す、というのがずっと繰り返されるのが漫才の基本です。「漫才」を語るうえでは、 まずはそこから始めるべきやと僕は思ってるんです。答え合わせ 石田明14ページ お客さんにとっても、実は 「偶然の立ち話」 という設定に乗っかる、もっといえば騙されるというのは一番わかりやすいスタンスです。 お客さんがこのスタンスでいてくれていると、必然的に笑いも起こりやすくなるんです。なぜかというと、お客さんたちにとって、 変なことを言うやつを常識的な立場から問いただすツッコミは、自分たちの 「代弁者」 だから。答え合わせ 石田明14ページ 見ている人に「このはちゃめちゃな立ち話は、いったいどこに行くんだろう?」 と思わせる先の見えなさこそが、漫才の醍醐味です。 一度もボールを落とすことなくラリーを続け、最終的にはとんでもない熱量の到達点にバコーンと上げていく。 それが漫才の理想形やと僕はつねづね思ってるんです。答え合わせ 石田明25ページ 漫才では「どんなボケ」 「どんなツッコミ」 「どういう盛り上げ方」 ということ以前に、 どれだけナマの人間同士のやりとりに見せるかを考えなくてはいけません。 ボケという違和感満載の変化球にツッコミを入れる、その流れに必然性を持たせることができなくては、いくら大きな声で突っ込んだり、ボディランゲージを激しくしても笑いはとれません。 お客さんは「なんでこの人、こんなに怒ってるの?」 と思うだけでしょう。答え合わせ 石田明154ページ ボケ1つ、ツッコミ1つでぶつ切りにして笑いをとっているのではなく、会話という流れのなかで笑いをとるのが漫才です。 もちろん笑いが起こるのはボケとツッコミの箇所ですが、 そこでウケるためには、本当は 「ウケていないところ」の持って行き方こそ大事なんです。答え合わせ 石田明154ページ