彼岸と此岸で違うのはコメディアンではなく観客
よく「日本のお笑いは差別的」だの「権力を批判せず弱い者いじめばかりしてる」だの言われる。それに比べて欧米は.....とも。
なので海外の先進的なお笑いは違うんだろうなとなんとなく思っていたがハンナ・ギャズビーのスダンダップコメディ見て思ったけど、全然文化背景が異なるし、なんならたとえば日本の漫才よりも欧米のスタンダップコメディのほうが非常に強く差別を内包してる。
「笑うのはとてもいいこと。他の人と一緒に笑うのはなおさら。一人で笑ってたら多分精神病を患っている」。ハンナ・ギャズビーのネタだがこんなのでドッカン。「お客さんがよすぎる」と日本の漫才師なら言うだろうし、結構内容が差別的。
同じことを日本の芸人がしたら一瞬で炎上するのでは。炎上しなくてもリベラル思想を持った人たちが「だから日本のお笑いは」「人をいじる笑いやめろ」と言ってるはずだ。お笑いがわからない、笑いのセンスがないほうのリベラルってことだけど。
自虐ネタも多いんだよ。レズビアンがレズを自虐ネタにするわけ。「女は処女か娼婦どちらかにされる。冗談じゃない!私はそのどちらでもない!! あ、えっと、厳密に言えば処女だけど」。ハンナのパンチラインこんなのだけど、これとシシガシラやギャロップが他ならぬ自分の薄毛を「あるある」的にネタにするのと何が違うの?っていう。
スタンダップコメディにはこの手の自虐や「笑って笑われて。みんなお互い差別しあってる。差別は絶対だめだけど、でも現実の人間は差別ばかりしちゃってんだよ、まいったなこりゃ。笑い飛ばすしかねーじゃん」ってフレームワークなんだと思う。
クリス・ロックがジェイダ・ピンケット・スミスの薄毛をネタにしてウイル・スミスからビンタされた事件あったけど、スタンダップの伝統からすると地続きなのが容易に想像できた。
結局、欧米だからありがたがってる、事情をよく知らないだけ。欧米はいい、日本の笑いは低俗と、よく理解も分析もせずただただ決めつけてるだけなんだと思う。単なる確証バイアス。
この話をDiscordでしたら、ヨーロッパ在住の方から「こっちでスタンドアップの講座に通ったのですが、自分から、差別されている要素を出して笑いをとりに行け!(わたしだったら発音が下手みたいなの)という指導が容赦なくて、辛かったです」「これはジョークです、笑ってもいいです、と相手に笑う権利を明確に与えることが大事なんだなーって」「普通に面白としてやられるけど(フランス人とか酷い)、分かっていても笑えない自分がいますよ」と言われた。なるほど.....。
多民族多文化が当たり前でバックグラウンドの違いが相対的に大きい社会と、相対的に等質的と前提されている社会では「依拠できる常識」が異なる。「欧米」では「差別は絶対にダメなんだ」と「我々はバックグラウンドが違いすぎて常に相互に差別しまくってる」という大前提がある。だから「もっと文化の前提が違いすぎて、説明をしっかりないと、全然自分の面白いと思うポイントが相手に伝わらないのですよ。同じことがハンナ・ギャズビーのナネットにもあると思う。私が素人なのもあるけど、先生とはなして、そこが!わからないんだ!って何度もなりました」とのこと。
お笑いは常識に照準を合わせて作られるため、日本で欧米と同じことをしてもウケないし叩かれてしまう。
悪いのは芸人ではなく、オーディエンスのほうなんじゃないか。