山崎ナオコーラ
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私は映像イメージが湧くようなものや、ストーリーにうっとりするようなものは書かない。 言語表現として面白いもの、ぎりぎりのもの、甘くて硬いものを書きたい。 鍋に砂糖と水を入れて煮込み、いらない水分をばんばん飛ばし、 ヘラにねばねばしたものが付いてきたら水飴、 冷やして、 硬くて透明な飴ができる。そんな風に文章を作りたい。 みなさんが嘗めて、 「甘い」 「硬い」 「で、結局何が言いたいの?」と思ってくれたら、嬉しい。指先からソーダ / 山崎ナオコーラ 位置1701
飴を嘗めているとき、私たちは甘さを楽しんでいると思いがちだ。 しかし実際は、飴の表面に付いている模様に舌を這わせることを気持ち良く感じていたり、誤って噛み砕いてしまったときの、 とがった部分で舌を傷つけることに快感を見つけていたりする。 では、飴とは何か? 飴は唾液であり、 模様であり、歯とぶつかるカチカチいう音だ。 人それぞれの、 自由なものである。 しかし、耳で飴を感じて 「飴は音だ」と思っている人に対して、 「飴の本質は砂糖だ!」 と言ってしまう人がいるような気がする。 そういう人は「物事にはどこかに 『本質』 というものがある」 と考えている人なのではないだろうか。指先からソーダ / 山崎ナオコーラ ・ 位置1712
文章は、ただの文字の羅列である。 ふにゃふにゃした線が紙の上にあるだけのものだ。 そんな線はもちろん、肉体や権利を持つ生身の人間とは別のものである。 それでも、 人はその羅列を見たとき、 キャラクターを感じ、惹かれる。指先からソーダ / 山崎ナオコーラ 位置1736
これからも私が飴を作るなら、 飴でできるいろいろなことをしたい。 きっと細かい模様を彫るだろう。途中で割れて、誰かの口をそっと傷つけて、その人が血の味を楽しむことを想像しながら。指先からソーダ / 山崎ナオコーラ 位置 1754