小説おもんない
逆にいえば、それくらい、 小説を毛嫌いしていた。 これはひとえに、 国語の教科書や夏休みの課題図書が原因である。 教科書に載っている小説の一部や、嫌々読まされる課題図書の圧倒的なつまらなさが、 当時の僕を支配していて、こんなものを読む人間がいるのが信じられない、というレベルだったのだ。 しかし、これは僕がひねくれていたから、と簡単に片づけられないのではないか、とこの歳になっても感じている。というのも、日本で小説を読む人は、もの凄く少数だ。 ときどき有名な作家がニュースになることはあるけれど、街角で大衆に向かって「日本の小説家といえば?」と質問すれば、おそらく今でも「夏目漱石」という回答が最多になるだろう(ただし、 「漱石」の漢字が書ける人は少ないはず。僕も書けない)。これは、教科書で読まされているからだ。 もちろん、読まされているといっても、全部を読んだわけではない。『こころ』が人気らしいが、 大半の人は教科書で知っているだけで、最初から最後まで読んでいる人は多くはない。また、 『吾輩は猫である』 や 『坊っちゃん』にしても、 全部を読んだ人がどれほどいるだろうか? 今に比べて、昔はたしかに娯楽が少なかった。 TVも映画もなかった時代には、 小説こそが大衆向けのエンタテインメントだったのである。 演劇などは劇場へ行かないと観られないし、 入場料も高い。大量に印刷された書籍は、そういう意味で、 現代のインターネットやスマホと同じく一般的なメディアだったのだ。 近頃では、ベストセラの小説でも、数十万部程度の売行きである。 それどころか、 数万部売れれば、 週間や月間ならベストセラになる。この数字は、 一億人以上いる日本の人口からすれば、 ○.1パーセントにすぎない。 つまり、 多めに見積もっても、千人に一人しか小説を読まないのだ。読書の価値 / 森博嗣 32ページ