失われた時を求めて
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私が飛びついて接吻しようとするのを見たアルベルチーヌは、「やめて、呼び鈴を鳴らすわよ」と大声を挙げた。しかし私は、娘が叔母に知られない算段をしたうえでこっそり若い男を呼び寄せたのはなにもしないためではない、そもそも好機をとらえるすべを心得た人間はことを大胆におし進めて成果を挙げるものだ、と自分に言い聞かせた。昂奮状態にあった私に、アルベルチーヌのまるい顔は、内部の火に常夜灯のように照らされてみごとな立体感を備え、じっと動かないのにめくるめく渦巻に呑みこまれるミケランジェロの諸像のように、熱く燃える天体がその場でくるくる回っているように見えた。私は、この未知のバラ色の果実がもつ匂いや味覚を知ろうとした。そのとき、けたたましい音がせわしなく、長く鳴りひびくのが聞こえた。アルベルチーヌが力のかぎり呼び鈴を鳴らしたのである。失われた時を求めて 4巻 pp.617-8 私はアルベルチーヌにこのシャープペンシルをくれたらもっと嬉しかっただろう、と言った。「そうしてくれたら、どんなに嬉しかったことか! それでどうなるってもんではないでしょう? そんなことを拒まれて驚いてるんです。」「あたしが驚くのは」とアルベルチーヌは答えた、「それがあなたには驚きだったということだわ。あたしの振る舞いに驚くなんて、いったいどんな女の子たちとつき合っていらしたのかしら。」「気分を害したのは申し訳ないけど、今でも、ぼくが間違っていたと思うとは言えないんだ。ぼくに言わせれば、あれは大したことじゃなくて、いともたやすく相手を喜ばせることのできる女の子がそんなことに同意できないのが不思議なんだ。誤解のないように言っておくと、」と私は、アルベルチーヌとその仲間が女優レアの女友達を非難していたことを想い出して、相手の道徳観念をいくらか満足させるためにつけ加えた、「ぼくはなにも女の子はなにをしてもいいとか、不道徳なものなんて存在しないとか、そんなことを言いたいんじゃない。たとえば、ほら、いつか話してくれたバルベックに住んでる娘と女優とのあいだの関係なんか、じつにけがらわしいと思うんだ。あまりにもけがらわしくて、その娘を毛嫌いする連中がでっちあげたつくり話かと思うほどだよ。ありそうもないし、ありえないことだからね。でも相手が男の友だちなら接吻させたって、たとえそれ以上のことをさせたって、いいはずでしょう、だってぼくは、あなたの友だちだって言われてたんですから......」「あなたはあたしのお友だちよ、でもあなたの前にもお友だちは何人もいて、間違いなく、あなたと同じほどの友情をいだいてくれたわ。でもね、あんなことをしようとした人はひとりもいなかった。平手打ちを食らうと知ってたのね。第一、その人たちはあんなこと考えもしなかったわ、仲のいい友だちとして率直に友情をこめて握手をしていただけよ。接吻なんておくびにも出さなかったけど、それで友情が減るわけじゃなかったの。ねえ、あたしの友情が大切なら、それで我慢できるはずよ。あなたを赦したのは、よっぽどあなたを愛しているからよ。でも、きっと、あたしのことなどどうでもいいんでしょ。白状なさい、あなたが愛してるのはアンドレだってわかってるのよ。まあ、無理もないわ、あの子はあたしよりずっと親切だし、それにほんとにほれぼれするほど魅力的だもの。どうしようもないわね! 男の人ときたら!」このあいだ幻滅を味わわされたばかりなのに、この率直なことばは、私にアルベルチーヌにたいする深い敬意をいだかせ、きわめて優しい印象を呼び覚ました。そしてこの印象が、ずっとのちになって私に重大な忌まわしい結果をもたらすことになったのかもしれない。> 失われた時を求めて 4巻 p.631-3 ところが遺憾なことに、私は夫人以外のどんな人に出会っても興味をそそられないのに、夫人のほうは私以外の人ならだれに出会っても我慢できるのではないかと感じられた。夫人は、毎朝の散歩で、多くの愚かな男たち、夫人自身にも愚かとしか思えない男たちの挨拶を受けることがある。それでも夫人は、そんな連中があらわれたのは快楽を約束するものとは考えないまでも、すくなくとも偶然の結果だと考える。ときにそんな男たちを呼びとめるのも、人間には自己を逸脱して他人の心の歓待を受けたい気になるときがあるからだ。しかしそうするのは他人の心が、どれほど冴えない醜い心であろうと、自分とは無縁の心であるときにかぎられる。ところが私の心にたいして夫人が激しいいらだちを感じたのは、私の心に見出されるのが夫人自身だったからであろう。失われた時を求めて 5巻 p.311 そして実際に使いの者が「呼びに来て」、そのだれかと部屋でふたりきりになると、女は相手がなにを求めているかは百も承知で、用心ぶかい女の慎重さゆえか、たんに儀式的な仕草なのか、部屋に鍵をかけると、聴診器を当てようとする医者の前でするように身につけているものをすべて脱ぎはじめる。そんな動作を中断するのは、その「だれか」が裸を好まず、シュミーズを着ていて構わないと言うときだけで、一部の臨床医が、きわめて耳が鋭敏なうえに患者に風邪をひかせるのを怖れて、下着のうえから呼吸や心拍を聴くだけにとどめるのに似ている。こんな女がどんな生涯をおくり、どんなことを考え、どんな過去をもち、どんな男に身を任せようと、すべて私にはどうでもいいことで、たとえ女からそんなことを語り聞かされても、私はただ儀礼上それを聞くだけで、ろくに耳にも入らなかったにちがいない。ところがサン=ルーの不安と苦悩と恋心は躍起になってそんな女をーー私にとっては機械仕掛けのおもちゃにすぎないものをーーわざわざ無限の苦しみの対象とし、生き甲斐そのものにしているのが感じられた。かくも隔離したふたつの基本原理を見比べた私は(なぜなら私は「ラシェル・カン・デュ・セニョール」を娼家で知っていたからである)、男がそのために生き、苦しみ、自殺までする相手の女たちの多くにしても、その女自身は、またほかの男たちの目から見たその女は、私にとってのラシェルと同じようなものかもしれぬと悟った。そんな女の生活について痛ましい好奇心をいだく者がいると考えて、私は唖然とした。ラシェルがどんなに多くの男と寝ているか、私はそれをロベールに教えてやることもできた。そんなことは私には世にもつまらぬことに思えたが、それを知ったらロベールはどんなに苦しんだことであろう。それを知るためにロベールは筆舌に尽くしがたい犠牲を払っていたのに、なんの成果もなかったのである。 失われた時を求めて5巻 pp.343-4 フランソワーズにはつねに最悪の事態を予想する性癖があり、さらに子供のころから失わずにいる得意なふたつの性格が残存していたからで、両者は相容れない性格に見えて、合わさると強力なものになった。そのひとつは庶民にありがちな育ちの悪さで、心に感じたことを隠そうともせず、思いやりがあれば気づかぬふりをすべきほどに変わり果てた身体を目撃したときの耐えがたい恐怖まであらわにする。もうひとつは農家の女らしい粗野な冷酷非情で、若鶏の首をしめる機会に恵まれる前から平気でトンボの羽をむしり、苦しむ肉体を見たときに感じる興味を隠そうとする恥じらいなど持ち合わせない。 アルベルチーヌは、友人の娘たちのところへ出かけて数日留守にするときは、その日取りを私にメモさせたし、そんな日の夜に私が会いたくなる場合に備えてその友人たちの住所も控えさせていた。遠くに住んでいる娘はひとりもいなかったからである。かくしてアルベルチーヌを見つけようとすると、本人のまわりに娘から娘へとごく自然に絆となる花の輪ができていた。正直にいえば、そんな女友だちの多くはーー私はまだアルベルチーヌを愛していなかったーーあちこちの浜辺で私にひとときの快楽を与えてくれた。そんな好意あふれる若い女友だちの数は、それほど多いとは思えなかった。ところがごく最近ふと思い返してみると、その娘たちの名前が想い出された。数えてみると、この年のシーズンだけで十二人の娘が、私に一時的な愛のあかしを授けてくれたことになる。その後もうひとりの名前を想い出して、合計十三人になった。 失われた時を求めて 8巻 pp.421-2 11巻p.343 これ、ここで「私」から別れ話ふってるんだけど......。