依存症
確かに、アクセスの簡単さが依存症の唯一の危険因子なわけではない。 依存症になるリスクは、生物学的な親や祖父母が依存症を持っているなら、たとえその家の外で暮らして育ったとしても高くなる。 また精神疾患も依存症のリスクを高める。 精神疾患と依存症がどうつながっているか一精神疾患がドラッグ利用をさせるのか、 ドラッグ利用が精神疾患を引き起こすのか、あるいはその両方なのかはまだわかっていないのだが。ドーパミン中毒 アンナ・レンブケ 27ページ 条件刺激が与えられると、 脳のドーパミン・ニューロンは発火して (脳は報酬がない時でさえ瞬間的な発火を見せるわけである)、 すぐに元のレベルにまで下がるだけでなくそれ以下までさらに下がる。一時的にドーパミンが軽い欠乏状態になることが私たちに報酬を探し求めるように動機づけるのである。 ドーパミンレベルが基準値以下に下がることが渇望状態を作るのだ。 渇望は、 そのドラッグを得るためにはなんでもするというように、強い目的を持った行動に変換される。ドーパミン中毒 アンナ・レンブケ 64ページ 「自分を縛る」というのは、機械を捨てるというジェイコブの行為をまさに表す言葉である。 それは、衝動的な過剰摂取をあまりしないで済むように意図的に、自ら進んで、自分と自分がハマっているものとの間に壁を作る方法だ。自分を縛れるかは、そもそも意志の問題ではない。もちろん少しは個人の主体性が必要とされる。しかしむしろ自分を縛れるかどうかは、 意志の限界を率直に認めることなのだ。ドーパミン中毒 アンナ・レンブケ ・ 95ページ 過去30年間で、 デビッドやケビンのような患者に会うことは増えていった。 人生において全てのアドバンテージを持っているように見える人たち―支えてくれる家族がおり、 質の高い教育を受けられ、経済的にも安定していて、健康な体を持っているそんな人たちが不安やうつや体の痛みを訴え、弱った様子でやって来る。 自分の持っている力を活かせなくなっているというだけでなく、 朝ベッドから起き上がるのもやっとになっているのである。ドーパミン中毒 アンナ・レンブケ 46ページ 慢性的な過剰刺激と、最終的には中毒における決定的な不均衡は、欲求と渇望は高まるが、快楽や好きな気持ちは弱まるということだ。中毒者は「それ」をもっと求めるが、次第に「それ」がそんなに好きではなくなる。中毒というのは、欲求の暴走と考えられる。インターネットポルノ中毒p.91 そして最後ながら重要な点として、中毒者が脳にネタを与えないと、ストレス系が過剰に働きはじめる。中毒者が報告する多くの禁断症状、たとえば不安、うつ、疲労、不眠、苛立ち、痛み、気分の揺れなどが引き起こされる。ゴミクズのような気分になり、そのために中毒に逆戻りしてしまうことも多い。インターネットポルノ中毒p.130 依存症とはそもそも物質や行動についてうんぬんする問題ではなく、脳の反応のことでもない。ピールは依存症をこう定義している。「自分にとって害になるのに、本人の生態において欠かせないものとなり、自力でやめられなくなった体験に対する、過剰で機能不全な執着のこと」アダム・オルター. 僕らはそれに抵抗できない (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1457-1459). Kindle 版. 何らかの悪癖を常習的に行う行為----これを「行動嗜癖(behavioraddiction)というーーは昔から存在していたが、ここ数十年で昔よりずっと広く、抵抗しづらくなり、しかもマイナーではなく極めてメジャーな現象になった。昨今のこうした依存症は物質の摂取を伴わない。体内に直接的に化学物質を取り込むわけではないのに、魅力的で、しかも巧妙に処方されているという点では、薬物と変わらない効果をもたらす。ギャンブルにのめりこんだり、何らかのスポーツを過剰にやりすぎたりするのは、そうした"新しい依存症"の中では古いほうだ。ドラマを一気に何話分も試聴せずにいられないビンジ・ウォッチングや、頻繁にスマートフォンを覗かずにいられないのは、より新しいほうの依存症と言える。いずれの場合も、人をのめりこませる力は昔よりもかなり強い。 僕らはそれに抵抗できないNo.95/5581 だがもしかしたら、人が無我夢中になるのも、34番と同じ仕組みなのかもしれない。「依存症は学習の一種ではないか、と考えはじめました。記憶の一部と考えることもできるのではないか、と」。つまり特定の行動と、魅力的な結果とのリンクを、ただ純粋に学習してしまうのだ。僕らはそれに抵抗できないNo.1105 依存症とは、本人がそうなりやすい性格かどうか、ということだけで語れる問題ではないのだ。彼らはただ弱いから依存症になるわけではない。倫理感が欠如しているから、というわけでもない。全員とは言わないまでも、多くの場合はただ不運だったことが原因なのだ。アダム・オルター. 僕らはそれに抵抗できない (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1253-1256). Kindle 版. 一方、薬物常習者がヘロインを注入するときの脳のパターンと、ゲーム依存症患者がワールド・オブ・ウォークラフトで新しいクエストに繰り出すときの脳の反応は、実はほぼ同一だということがわかっている。ヘロインのほうがダイレクトに作用し、ゲームよりも強い反応を引き出すのだが、脳内でニューロンが発火するパターンは限りなく同じだ。強迫的反復行動を研究する神経科学者クレア・ギランは、「薬物と、依存的行動は、脳内の同じ報酬中枢を刺激します」と説明している。 アダム・オルター. 僕らはそれに抵抗できない (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1328-1333). Kindle 版.
つまり、依存症になるかならないかを決めるにあたって、ドーパミン放出以外にも材料があると判断するのが打倒だ。そのミッシングリンクの材料が、ドーパミンを放出するに至った状況である。何らかの物質や行動自体が人を依存させるのではなく、自分の心理的な苦痛をやわらげる手段としてそれを利用することを学んでしまったときに、人はそれに依存するのだ。僕らはそれに抵抗できないNo.1368 他人に薬物や行動を強要されるだけでは条件はそろわない。心理的苦痛を癒やすものとして確かに効果的だと当人が学んでしまうことも、条件の1つなのだ。僕らはそれに抵抗できないNo,1393 依存症になる一番の危険因子として、その"ドラッグ"(麻薬などの薬物とその他依存症をもたらすもの・行動をまとめてこう呼ぶことにしよう)へのアクセスのしやすさがある。簡単に手を出せてしまう場合に、私たちはやってみうようと思ってしまうのだ。ドーパミン中毒p.26