何を言うかではなく誰が言うかで決まる
生成AI時代はコンテンツ、つまり「何」はいくらでも作れるし何でもつくれるようになっていく。そうするとコンテンツの過剰供給が起こる。そしてこれからはスマホより手前にAIがある世界になるんだから、未来の読者は人間ではなく機械になる。それでもどうすれば「読まれる」か。必要とされるコンテンツは何を言うかではなく誰が言うかで決まる社会にますますなっていく。
けんすう.iconけんすうがChatGPTのOperator機能とその影響についてnoteを書いていた。読んだら途中から有料。課金もしようかと思ったがちょっと待てよと。けんすうほどの人間ならAIを使い倒してる、AIを使って記事を書いているはず。気づくと自分も「けんすうって知ってる?」とAIに聞いていた。「知ってますよ!」と言われたら「けんすうならOperator機能について何て言うと思う?どういうブログ書きそう?」って聞いてた。だんだんこんな感じが進行する。
逆にこの場合、けんすう視点から考えるなら最終的に「けんすうが言っている」ことになれば「何を」言うかの部分についてはAIに任せちゃえるから、いくらでも記事の量産がきく。
逆に無名の人間が注目を浴びようと思っても難しい。自分がちょっと考えたことくらい、AIで書けちゃうから。何で差別化するのは難しい。
誰として認められてしまえば入れ食い、そうでなければAI以下。コンテンツ発信力格差は今後ますます強まっていく。
なんならその誰は実際その通りである必要すらなかったりする。架空のプロフィールやキャラでもいい。
「その人が言うなら聞いてみよう」。そう思われる誰をもったキャラをどのように設定するかが勝負になる。
いわばキャラしか勝たん状態。