他人が読める文章で書く
よって、 最低限将来の自分が読んでもわかるように、 文法的に正確な文章で書いておく。 これを 〈他人が読める文章で書く〉と呼ぼう。 将来の自分はほとんど他人みたいなものだから、 自分以外の人間がわかるように書けば将来の自分もだいたいは理解できるという寸法だ。 また、 完全な文章で書くことによって、 自分の着想が論理的に整理される効果もある。 これは、理性が発揮されると言い換えてもよい。 人間の理性は言語活動と密接に結びついているという仮説もあるようだが、 実際に文章を書いてみると、 そのことが実感できるだろう。怒りに満ちあふれているときでも、そのことについて文章を書いていると少しは冷静さが取り戻せるし、何かについての決断をしようと選択肢について記述しているうちに心のうちが決まっていくことも珍しくない。考えの育て方: 知的生産のデジタルカード法 / 倉下忠憲 50ページ Cosenseでは箇条書きが結構推奨されてるように感じるけど、それに対して倉下忠憲.iconのこの指摘は非常におもしろい。