人もをし人もうらめしあぢきなく世を思う故にもの思う身は
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百首目は順徳院の「百敷や」だったわけだが、九十九首目はその父親、後鳥羽院のこの歌だ。「最後はこの親子にビシッとしめてもらいましょう」てなことなのだろうが、ここまで明確な編集意図を持って百人一首の百首を選んだやつは一体誰かというと、藤原定家 である。これまた詳しく知らないが、詳しく知らない自分ですら「和歌の超名人?」。それくらいは言えるレベルの有名人である。新古今和歌集の選者でもある。『アビー・ロード』をつくったうちの一人ポール・マッカートニーです、みたいなものだろうか。違うか。 そうなると後鳥羽院順徳院親子と百人一首選者・藤原定家の関係が気になるのだが、一言で言うと「めっちゃくちゃ目をかけてくれた社長とその社員。ただし社員が出世したのは社長失脚の後」ということらしい。後鳥羽天皇の熊野御幸に藤原定家はついていってるし、新古今和歌集は後鳥羽院の院宣によって動きだすのだが、定家はその選者の一人にも選ばれている。「選者に選ばれた」と言っても、新古今和歌集は後鳥羽院の力が相当強かったらしいのだけれど、それでも定家の歌は新古今和歌集にいくつも取り上げられている。他方、定家が出世したのは、後鳥羽院が承久の乱を起こした後。承久の乱が失敗し、対立勢力が一掃されたおかげなのである。
そしてその後も定家はのうのうと生きつづけ、もう73歳のおじいさんになってから、人から頼まれて百首選んだのが百人一首だとされている。1235年のことだ。承久の乱が起こったのは1221年のこと。後鳥羽院が亡くなったのが1239年で59歳のとき。後鳥羽院は死ぬまで帰京を許されなかったから、定家の手によって後鳥羽院の歌が百人一首に選ばれたのは「定家という社員も後鳥羽院という元社長もどちらも生きていて、どちらも爺さんになっていて、でも後鳥羽院はもうおそらくは戻ってくることもないまま隠岐島で死ぬんだろうなってわかってきた」タイミングなのである。 昔、自分を歌集の選者に選んでくれた人の歌を今は自分が選んでいる。選ばれたと思ったら選んでいるし、選んでいるということはつまり将来は後続世代から選ばれるということもである。「選ぶ」とは今後自分を選ぶ人間を選ぶことであるかもしれない。時代は変わる。これほど諸行無常を感じさせることはないが、ともかく後鳥羽院は自分を選んでくれる藤原定家を選び、定家は後鳥羽院を選んだ。 「人もをし」の「をし」とは「愛し」。つまりいいな、好きだなって思うこと。「あぢきなく」は「おもんない」。「おもろい」「おもんない」にもいろいろあると思うが、「あぢきなし」のニュアンスは「思うようにならない」とか「やってもその甲斐がない」とかまあそんな感じなんだろう。「もの思う身は」と最後に来ているが、これは倒置法か。したがって「人をいいなとも恨めしいなとも思うのはもの思うこの身なんだけど、そう思うのは世の中をつまんないと思ってるからなんだよな」といった感じだろう。
「我思う故に我在り」。デカルトのコギトじゃないけれど、「世の中をおもんないと思ってっから人のことをいいなとか恨めしいなと思ってしまうんだよな」「思ってるのは全部おれなんだよな」と後鳥羽院は詠む。そう詠むとはつまりはどういうことか。この人は世の中を「おもんない」と思ってるけれど、「おもんない」と思うのをやめたら「おもんなくなる」のではないかと思ってるのである。そうでなければ「あぢきなく世を思う」ではなく「あぢきなき世」でいい。 「世の中をおもんなく思ってっから人が愛しくなったり恨めしくなんじゃね?」「つーことは、ワンチャン世の中をおもんないって思わなければいんじゃね?」である。「そう思ってるからこうなる」というなら「そう思わなければどうなる」のかという疑問が当然浮かんでくる。この人は「あぢきない=思うようにならなくておもんない」世の中を、どう思うかという、自分の思い方を変えることによって「思うように」しようとしてるのである。
「思うようにならない」と思うからそうなるというのだが、「思うようにならないと思う」こと自体は「もの思う身」の思うようになるのだろうか。他方で「人を愛しい」とも「うらめしい」とも思う。そのこと自体が「おもろい」ことではないだろうか。「おもんない」と思うことから「おもろい」が出てきてしまう。なんだかそれもおもしろい。moriteppei.icon(20240102)