ネガティブケイパビリティ
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できない自分を受け止めることができるか。
ロマン主義時代に生きたジョン・キーツ(John Keats 1795-1821)の「ネガティヴ・ケイパビリティ」(negative capability)という概念は、共感力をもつ自己像を表しているといえる。「ケイパビリティ= capability」とは、何かを達成する、あるいは何かを探究して結論に至ることのできる力を意味する。しかし、キーツのこの概念は、知性や論理的思考によって問題を解決してしまう、解決したと思うことではない。そういう状態に心を導くことをあえて留保することをさす。「ネガティブ・ケイパビリティ」とは、相手の気持ちや感情に寄り添いながらも、分かった気にならない「宙づり」の状態」、つまり不確かさや疑いのなかにいられる能力である。(ケアの倫理とエンパワメントp.15) では書き手にとっての幸せとはいったいなんでしょう。書き手にとっての幸せの一つは精神的成長です。書くことは自分の有限性を教えてくれます。自分の限界を知りその中で精一杯やることが一種の精神的な成長だとしたら、書くことはおおいにそれを教えてくれるでしょう。リミットに挑戦しそれを超えるだけが成長ではないのです。成長にもいろいろな形があります。書くことによって、自分の限界を知り、諦め、自分の手の届く範囲を知ることで人は成長できます。それは大きな喜びをもたらしてくれるでしょう。書くことについてのノート太田明日香pp.11,2 二十代も後半に差し掛かった頃、いわゆる 「キャリアアップ」のつもりで転職したはずの仕事先で、 しかし、 そこでの不条理に耐えきれなくなって仕事を放り出し、かといって、当時、籍を置いていた大学院での 「研究」 も思うようにはかどらず、つくづく世間と自分が厭になりかけていた頃だった。ただ、主観的にはどんなに自暴自棄になっていても、毎日の掃除と洗濯だけは律儀にこなし、ときに昼飯や夕飯を抜いても古書を買い、 また旧い友人と朝までのんべんだらりんと飲み続けるという習慣だけは相変わらずだった。 そんな時、 感じたのは 「つくづく自分の性格は治らないな」 ということだった。 そして、 その後しばらくして、 「この性格のまま死んでいく」ことまでを受け入れはじめた時、 急に自分のことが可笑しくなってきて、肩の力が抜けていくのが分かった。反戦後論 浜崎洋介・236ページ