のである口調
ところが、私が自分でも日常それを使っていながらしばしば不思議に感ずることは、現在の口語体の「のである」といういい廻しである。 かりに私はこれを「のである口調」と名づける。(のである、のであった、あったのであろう等、そういういい廻しの総てを含んでいるものと解して貰いたい。)いったいこの「のである」という口調はどこから始まったか。 われわれが実地に口で話をする時に 「のである」 という言葉はめったに使わない。演壇に立って公衆を相手にする時には使うけれども、その場合その人は口語でしゃべっているのでなく、 文章語でしゃべっているのであって、演説や講義でも多少砕けて物をいう時は、あります口調かございます口調になる。 今日の標準語は東京語に律っているのだそうだが、 「のである口調」は絶対に東京の口語でない。 従って江戸っ児の言葉でもない。 あるいは旧幕時代の武士の用語であったかとも思ったが、 どうもそうでもなさそうである。陰翳礼讃 谷崎潤一郎 現代口語文の欠点について 49ページ