ながらへばまた此の頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は戀しき
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百人一首ともなれば、昔の人の、それも政治的にも不遇な人も多いだろうし、仏教的な諦め、悟りの形をとった、結構ネガティブな歌が多いのかと思っていたけれど、読んでみると意外とポジティブで、辛い世を詠んでも辛い世だなあ.....だけで終わるものには今のところ出会わない(これから出会えたらとワクワクしている)。後鳥羽院の歌もそうだが、この歌も「辛い」「憂世」と言いつつ、そこはまあ「見方次第っしょ」という表現が取られている。 「長く生きれば辛い今この頃もなつかしく思い出されてくるんだろうか」が前半で、「つらかった世の中も今では恋しいのだし」が後半。「憂し」の「し」、「戀しき」の「き」が過去の助動詞なのでこうなる。
藤原清輔朝臣のこの歌からわかる清輔(そう略していいのか知らないが)に関する事実は
とにかく今辛い
である。けれども、じゃあ、辛い清輔はどうしたか。意識を「ここじゃないどこか」、具体的には未来と過去に飛ばすのである。
辛い今、人は「死んじゃおうかなあ」などと思ったりもする。
けれどもそんなときは未来のことを考えよう。時間薬とはよくいったもので、どんなに辛くとも、時がすべてを過去に変えてしまう。でも、そんなの本当か?単なる気休めでは? そう疑問を感じたら、今度は過去のことを考えよう。過去あれだけ辛かったけど、今ではそんな過去も恋しいじゃないか。 ここで清輔は過去と未来と現在の三者の綱引き状態にある。数式にするとこうだ。
未来の辛さ = 現在の辛さ / 過去の辛さ-①
現在が辛ければ辛いほど、未来の辛さも強くなる(辛くなくなるのに時間がかかる)。けれども、過去の辛さが辛ければ辛いほど「あれだけ辛かったことも今では恋しいじゃないか」と思える。未来の辛さは低くなると考えられる。
そしてここからが重要なことなのだが、現在もいずれは過去となる。すなわち他方で現在の辛さが辛ければ辛いほど、それが「過去の辛さ」になり、①式から、「過去の辛さ」が辛ければ辛いほど「未来の辛さ」は辛くなくなるのである。つまり、②式が導ける。
未来の辛さ= 1/現在の辛さ+過去の辛さ-②
つらい憂き世で生きるつらさ。人のつらさを慰撫するものとは何か。つらくなくなるために必要なこととは、その人が体験し過去へと変えたつらさの総量だったりもする。現在が辛ければ辛いほど、過去が辛ければ辛いほど、未来は辛くなくなって、恋しくなるだろうな、とこの歌は歌っている。とても希望に溢れたポジティブな歌なのだが、それはまた見方を変えると「どんだけ過去も今も辛いねん」でもある。
清輔、お父さんの藤原顕輔と仲悪かったんだって。いわゆる毒親。興味ないとか言ったけど、俄然清輔の過去に興味が出てきた。