お遍路は達成できたのにお遍路記を書くのは達成できない
ふと、今朝、このことに気づき愕然とした。これ、めっちゃ深い洞察な気がする。あとで書くで掘り下げなければ。 四国遍路を40日間ほどかけて自転車+野宿ベースで完遂してしまった。全部で1400kmも自転車で移動し山を登り......だったのに、その記録が途中まで書いて途中で止まってるんだよね。どう考えてもお遍路そのもののほうが大変なのに! 人間の「できる」っていろんな条件で決まってるんだなあと。これが結構すごくおもしろいと思うんだよね。
まず自分がとにかく「目の前のことに夢中になる」タイプだってのが大きい。今、興味あることに全力で、それ以外は割と目に入らない......。今「お遍路してた森さんだ!」って言われても「そうなの?」という感じ。なんか他人みたいっていうか。今はAIとか次の興味に動いてしまっていて、わざわざ過去を懐古することに意味を感じにくくなってる。いやいやいや! あかんのやけど!
オーディエンスの存在がめっちゃくちゃ重要。みんなが見てるとなると見られてる自分を演じる。 ロールモデルの設定も重要。お遍路はしている間は「いいですかー、あなたはお遍路さんですー」って言われて、お遍路さんを周囲も自分も演じさせられる。 習慣は環境にビルドインされている。お遍路中は「お遍路」という環境=旅の中にあるのでそれ以外ができないし、それを毎日するのが習慣になっていた。旅の中で夜はログを書くというルーティンもできていた。だからお遍路中はお遍路しながらお遍路記も書けていたのに、今はその環境から切り離されたので、お遍路もしてないのにお遍路記も書けていない。 こうやって並べてみるとお遍路はすごいな。完遂するのがすごく難しそうに見えて、実際は完遂するための仕組み化がヤバい。全部乗せかあ〜!っていう。