「書く」とは「読む」であり、「読む」とは「書く」である
Mediumのコンセプト②
「 書く」とは「読む」であり、「読む」とは「書く」である
ハイライトやレスポンスといった機能からは、Mediumの2つ目のコンセプトも導くことができます。それはつまり「書く」行為と「読む」行為の近接性、もっと言えば「書く」とは「読む」、「読む」とは「書く」だったのだということです。
Medium体験で非常におもしろいのが、今自分は他人の投稿を「読んでいる」のか、それともそれをネタにして「書いている」のか、極めて曖昧なところです。最初は単純に他人の投稿を読んでいるつもりなのですが、いつの間にか、その文章の一部に線を引っ張ってレスポンスしている=「書いている」んですね。そして「書いている」つもりが、いつの間にか他人の投稿やレスポンスを読んでいる。その境界は極めて曖昧です。
従来であれば、書き手は書き手、読み手は読み手として、その役割が固定されていました。ところが、Mediumでは相当程度まで役割が流動的です。ステージでライトを浴びる演者とオーディエンスが分かれていたのが従来のあり方だとすると、Mediumでは全員で踊り狂っているようなイメージです。
対立している、まったく別のことと思われがちなことが、考えてみれば、実は同じことの別フェーズでしかない、ということはよくあります。たとえば「料理する」ことと「食べる」ことはまったく別のことだと思われがちですが、「物質を肉体に取り入れるまでの一連のプロセス」として理解した場合、単にその前行程と後行程であるに過ぎません。同じように「生産」と「消費」、「学ぶ」と「教える」も、対立した行為としてではなく、一連のプロセスとして理解できるでしょう。
「書く」と「読む」が実は似たような体験であること。「書く」とは「読むようなこと」であり、「読む」とは「書く」ようなことである。そのことにMediumは気づかせてくれます。
Medium CEOのEv Williamsのプロフィールで「Reader, writer, ponderer, father. CEO of Medium」と書かれているのが象徴的です。ReaderであることとWriterであることが並列に置かれていること。Readerが先に来ていること。ここにもReaderがWriterである、ReaderこそがWriterであるというMediumのコンセプトが感じとれます。
こうしたMediumのあり方、世界の捉え方は、確かに従来のブログ文化とは一線を画すものです。「Mediumはブログ公開のツールではない」という主張は伊達ではないと思います。ブログが目指している世界が「誰でもWriterになりうる」だとしたら、Mediumが目指している世界は「Readerなんだったら、それはWriterだ」だと思うのです。