異性婚してるクィア
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水上文.icon クィア自認だけど異性婚してるひと、いろんな事情の人がいると思うけど、あんまり連帯できる自信ない。いまの社会の状況的に異性とパートナーシップするタイプの人といろいろなことがあまりにも違いすぎて、、だって結婚できないし、パートナーシップ宣誓じゃいざパートナーが事故にあったときに宣誓カード出しても警察になにそれ手作り?とか言われたりするし、20年連れ添った同性パートナーを突然殺害されてなのに犯罪被害者の遺族としてさえ扱われず、給付金ももらえず、行政にあなたたち家族じゃなかったよねとか言われたりするんだよ、、、もうなにもかも全然違うよ@mizukami_aya Threads 水上文 moriteppei.icon 「クィア自認だけど異性婚してる人と連帯できる自信がない」という投稿見た。 / 確かに結婚制度自体が大変差別的だし、そこでの差別で多大な心的苦痛を受け苦しんでいる人がいるのはその通りだし、その当事者が現行の婚姻制度とそれに対して「乗っかる」人に心情的に連帯が難しいというその気持ちは理解するし、「連帯」って具体的に何なのかはいまいち明確でないから誤解があるのかもしれない。 / だけれど、でもそれって問題なのは制度としての「異性限定婚」なのであって、さまざまな事情や心理から現行制度に乗らざるを得なかったり、乗りたかった人ではないと思う。そうした分断を生むことこそが、この制度が「やってること」なのだから、それこそそんなこと言ったら制度の思う壺なのではないか。それにこうした物言いは「ホンモノのクィア」と「そうでないクィア」という二分法に容易に滑り落ちてしまう危険性があると思う。 / 立場が圧倒的に違うから連帯できないと言ったら、他のマイノリティとも連帯できないことにもなってしまうし、そもそも「連帯」とは立場を超えて繋がるからこそ力を持つものだろうし。@eyehatesns Threads moriteppei.icon 元の投稿は、連帯できないと言ってるのではなく、個人の心理的に連帯が非常に難しいと言ってるのだと解せるし、そう取ってスルーしようと思ったけど、個人の感情を表す「言葉」を補足なしで出してしまうと、「あいつらとは連帯できないよな?なあみんな」という呼びかけとしても取られかねない。 / 異性婚だけしか許されない現行制度が本当の本当にクソすぎる。@eyehatesns Threads moriteppei.icon 具体的に異性婚利用者から踏まれたとか、見えなくなってることを指摘するとか。そういうシチュエーションで、立場の違いを表明していけばいいのであって、そういう「人」との連帯を閉ざすような方向性は言論戦略としても好ましくないのではないか。 / さらに問題なのは、ここにあるのは実は婚姻制度だけではなく、アイデンティティに対する真正性の欲望の表明になってしまっていること。本当のクィアと、そういうことにして生きてる「だけ」(と自分たちに見える)クィアの間に線を引く、共通の体験をしていないからと言ってしまってることにならないか。でも、それってトランスジェンダーは「真正な」男/女とは違う、なぜなら共通の体験をしていないから、ってのと、控えめにいっても、構造的に非常に類似している話だと思う。@eyehatesns Threads moriteppei.icon 元の投稿の人が念頭に置いている「クィア自認だけど異性婚してる」人の中には、たとえば法的には女と男として扱われるノンバイナリーのカップルも含まれてしまう(そう言ってることになってしまう)のも大問題。@eyehatesns Threads