岡村靖幸はわかるけどプリンスはわかんない問題
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よく自分が聴いてる音楽をおすすめ紹介すると「森さんは邦楽は聞かないんですね」と言われる。そんなことなくて、めっちゃ邦楽聴くし、っていうか、あんまり「洋楽邦楽って分けて考えてない」し、「じゃあマリやナイジェリア、韓国の音楽はあれは洋楽なん?」とか疑問も浮かぶんだが、なんか自然と「邦楽を聴く」と「洋楽を聴く」が相反するものと捉えられてる感じある。自分はちゃんみなもボガンボスも小袋成彬もメガシンノスケも聴くけど。
逆に「じゃあ洋楽って聴かないの?」というと、そういう人は英語の曲や英語じゃなくても海外の曲を紹介しても、あまり食指が進まない人が結構多い気がする。音楽自体が嫌いなわけではなくて、日本語圏なら結構マイナーなものまでジャンルレスに聞き込んでたり、こちらよりも知識詳しかったりする。単純に「英語の歌は古今問わずあんまり聴かない」みたい。
「英語だと言葉がわからないから」
「わかっても向こうの文化がわからないから」
「わかっても直接脳や心に刺さる感じにあまりならない」
「歌詞は読みながら聴くの?」
などと言われる。
「わからない」からいいんじゃないかって思う。
自分はむしろ洋の東西を問わず「わからない」ものが「わかる」ようになること自体がすごく楽しいし感動するので、だから英語の曲、歌詞を見ながら聴いて「ん?これってどういうこと?」「全然ピンとこないな」から訳してみたり。そういう時間をかけて消化する過程が楽しい。感動はインスタントではないので、むしろ最初は「よくわからん」もののほうがいい。
今、自分にとって一番わからないのは浜崎あゆみとかだったりするので、聴いてみよっかなーってなったり、日本の古典、百人一首を一首ずつ読んで解説を書いてみたりしてる。「洋楽」なんかよりも古典のほうが「距離がある」から理解に手こずったりもするし。
「感動するまでに時間をかける」「わかるまでに時間をかける」文化自体が消失していっているのかもしれない。
別に洋楽じゃなくたっていいし、音楽じゃなくてもいい。一見、一聴、「ピンとこない」ものにこそ、わかったときの感動があって。ここでの「わかる」とは意味がわかるという意味ではなく「グッとくる」「ああいいなあ」と思うってことなんだけど。一瞬で「いい」と思えるものは「既に自分」、既知のものなので、「わかる」までに時間はかからないかもしれないけれど、世界が広がっていかない。未知を既知にしていかないと、既知が増えない。いつまでたってもわからないなので、感動できるものが広がらない(既知と未知参照。
みんなたとえば岡村靖幸は知ってるし、なんなら「靖幸ちゃん」って言って大好きだけれど、岡村が影響を受けまくったプリンスは全然聴かない。聴いても同じようには感動しないらしい。
まあ、単なる趣味の問題としては別にそれで何も悪いことなんかないんだけど、「美しい」「おいしい」「感動する」って体験が意識できずに言語、文化圏、「日本」という想像の共同体に制御されてて、無意識自然にドメスティックになってるのは、それが多くの人の感覚なのは、その国の文化状況としてどうなのかとは思う。
そういう人は別に心が狭いのではなくて、たとえばおすすめするとプリンスも聴いてはみるのだけど、で、どこがどういいのか?となると最初にピンとこないから「ピンとこないなあ」でやっぱり岡村靖幸的ドメスティックに戻ってしまう。ピンとこないをピンとくるにするためには翻訳が必要なのだけど、翻訳とはすなわち「わからないものをわかるまで言い換える」ことに他ならないからこれは、「わからないものがわからないのはわからないものをわかるまで言い換えられてないからだ」という同語反復になってしまう。
翻訳をしていくと、たとえば喜撰法師とジョン・レノン、なんだ結局同じようなことを言ってるんじゃないかってなる。脳内で言語にかかわらず、共通の「グッとくる」をつくっておいて、何語でもどちらにでも翻訳しあえる感覚を育てていくと、いろいろわかってめちゃくちゃ楽しいのに。
あと「歌詞の意味がわからない」の中には「単に語呂がいいから」とか「ネイティブが聴いてもよくわからないから、よくわからないで正解」みたいなものなのに「わからない」って思ってしまってる例がある。たとえばDon't Look Back In Angerなんてあれ、単に語呂がいいから韻踏んでそれっぽいこと言ってるだけなんだけど(歌いやすさ命!)真面目に「なんでサリーって出てくるんだろ」とか考えてしまう。あるいはBurning Down The Houseなんてたぶん意味はネイティブもよくわからないし、デヴィッド・バーンも「ええ感じやったからそういう歌詞にした」みたいなこと言ってるんだけど、「何を歌っているんだろう?」「やっぱりわからない.....」とかなってそう。でも、アジアの純真の歌詞読んで「これは何を歌っているのですか」と他の言語件の人から聴かれても「いや、別に意味は特になくて」と言うだろう。
「わからないものがわからないままでいいこともある」とか「わからない」と「わかる」の間に「わからないけど引っかかる」を常に作っておくことが重要なんじゃないかと思う。