身体化された認知
脳にある意識の座を通して行動をコントロールするという発想ではなく(これは形式知)、脳以外の身体を通すことで知覚、言語、記憶、学習、推論、感情、自己制御、社会的認知などを行っているとする一連の主張。
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20世紀後半以来、身体化された認知理論は(増え続ける)人気を得ており、様々な研究分野で複数の論文の主題となっている。
従来
身体、世界、知覚、行動が独立したものとして理解された
古典的なデカルトのモデル
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具体例
例えば、毛筆の崩し字を読むとき文字を書くときの手の動きが手掛かりとなる。
その文字が「蹴る」なら、蹴るときの神経システムが動員され、蹴ることが内的にシミュレーションされる。
情動に関する言葉ならば、過去の身体経験をシミュレーションする。
身体が震えたり、鼓動が激しくなったり、涙を流したりする経験が、言葉に意味を与える。
抽象的な言葉も、その情動に結び付けられている。
例えば、「やさしさ」は具体的な「温かさ」に結び付けられている。
認知に対する身体化アプローチ、つまり「暗黙知」は東洋的だ。
武士が馬に乗れば人馬一体となり、職人の道具は手の一部となり、身体は環境と一体となって動いている。
「暗黙知」を「形式知」にすることだけが重要なのではなく、実践することで「新たな暗黙知」が身体にInternalization(SECIモデルの内面化)するサイクルが、最も重要に思える。
そうでなければ中身のないPDCAサイクルと同じになってしまう。(PDCAとSECIモデルの違い)
PDCAサイクルが、得てしてPlan(計画)とCheck(検証)ばかりになってしまっていることと同じである。肝心なのはDo(実行)とAction(行動)であるはずなのに。
関連
Elaborative encoding
AI時代は五感にもとずく暗黙知が重要
参考
https://ja.wikipedia.org/wiki/身体化された認知
https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1XZFKB1R6517K/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=B08MZQ55TL