祥雲寺
祥雲寺の淵源は、元和九(一六二三)年に筑前福岡藩主である黒田忠之(一六〇二―五四)が父の長政の冥福を祈って赤坂溜池の自邸内に建立したことに始まる。 このときは、黒田長政の法号「興雲院古心道卜」から、興雲寺と称した。
寛永六(一六二九)年、今井台町(史料では麻布台町と記されることが多い)に移転して寺号を祥雲寺に改称した。
さらに、寛文八(一六六八)年の大火で類焼し、現在地に移転した(『御府内備考続編』)。
『御府内備考続編』によれば、祥雲寺には六軒の塔頭があった。
鳳翔山景徳院、霊泉院、香林院、天桂院、真常庵、棲玄庵である。
また、景徳院の合寺として妙高山東江寺があった。
祥雲寺が今井台町にあったころに塔頭として建立されたのは天桂院のみで、景徳院と香林院は、当初、別の寺院として建立されたが、
寛文八(一六六八)年に類焼して祥雲寺に移して再建された。
霊泉院は、寛文九年に祥雲寺が現在地を拝領したのちに敷地内に建立された。
また、真常庵と棲玄庵は元禄年間(一六八八―一七〇四)に霊泉院の和尚である徳峯や功海が建立したものである。
また、香林院所管の寺院に大聖寺がある(『渋谷区史』)。 大徳寺末の寺院としては、隣接地域には天現寺(麻布広尾)や天真寺(麻布本村町)などがある。 『江戸名所図会』
瑞泉山祥雲禅寺(ずいせんざんしよううんぜんじ)
広尾町にあり(『北条家所領役帳』に、「興津加賀守、桜田の内平尾の地を領す」とあり。ここも桜田に属せしと覚えたり)。花洛大徳寺派の禅刹にして、本尊に釈尊を安置す。開山は竜岳大和尚〔竜岳宗劉、一五五七―一六二八〕、開基は松平筑前守長政〔黒田長政、一五六八―一六二三。大名〕なり(祥雲は、すなはちその法号なり)。支院八宇あり(昔は赤坂の藩邸にありしが、麻布谷町の上の方へうつし、つひに明暦四年〔一六五八〕いまの地に引くとぞ)。