結果が予想できる事しか試せない
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僕が今一番破壊したい現代的な習性。
結果を求めるタイミングでやらない、とかはあるから常に予想できないことしろとは思わんが、現代人(自分も含めて)は予想の立たなさにビビりすぎてると思う。
どうせ予想は外れる。
遊びの質とアウトプットを切り離して評価することが大事?
できたものがゴミでも楽しかったことを最大限評価する。
予想を遠ざけるための簡単な実践としてルールを設定する、というのがある。
ルールは新たな認識フレームワークの足がかりになる。
ルールを発見することは、楽しみ方を発見することでもある。
例
冷蔵庫にある消費期限が近い食材からレシピを調べる/考える
ホットドッグかなんかのために買ったマスタードが大量に余ったからそれでマスタードソースパスタ作ったらうまかったっすkbyshwtn.icon 使わなきゃいけない、はめちゃくちゃ発見ありますよね。過剰な料理になったりミニマルになったりするけどどこかでバランスを取るために手癖以外を要求される。
消費期限を切らしてみる、という方法もある()
常温放置したケチャップ、謎に熟成されてデミグラスソース化します。 二択で迷ったら選ばなそうな方を選ぶことにする。
普段とは別の交通手段を使う、別の道を通る。
これめっちゃあるな…制作の時いちばん大変なの、これを打破するところだったりする。nozakimugai.icon
手早く成果を出したい時とか特にこうなりがち。
一年以上前にめっちゃ病んでた時に書いたこれ、「予想できることしか考えられない」状態を打破するためのtipsとして使えそうや。
「予想に縛られている状態」って、まず念頭に浮かんでしまう「強い具体例」に思考が縛られ、そこから動けなくなっている状態なのだと思う。その「強い具体例」を「抽象的なカテゴリ」へと解体し(カラム化)、そのカテゴリに沿って新たな「弱い具体例」を考えていく、そしてその「弱い具体例」からさらにカテゴリを抽出する(再カラム化)…みたいなことをしているうちに、予想の外にあった情報が入りこむ隙間が生まれる、ということなのだろう
ADHD的というよりASD的という気がしなくもないな、いま考えると
「入れ物」と「中身」を反転させ続ける営み、ともいえる
「戦略的に飽きる」ということでもある。最初の具体例へのこだわりを捨て、類似の別なものを呼び込むための飽き。 飽きをポジティブに確保するってめちゃくちゃ大事な気がします。Kai.icon
この思考法、なんか本とかにしたら売れそうじゃね?
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あーすげー共感できる。
ここ数年制作に慣れてしまっているから、本当に予想外のものを作れなくなっている感はある
以前まで構成・アレンジとか全然できなかったから、予想外のクソもサイコーもあったけど、現状クオリティが担保されている曲しか出来ないし、「良くしよう」というマインドが働くから前ほどの驚き感が少ない
全体的にはそうかもしれないが、時々創造力物凄く働いて予想外の方向に行く時もある