若気の至りcovelto.icon
1について、クレジットシーケンスとキネティック・タイポグラフィ、映像のハイパーテキスト的システム
2について、橋本麦 "Kindolphin"(2024)
大橋史氏による上2つの記事にて語られたように、映像内のテキストは今日その価値を増している事がわかる。しかしながら、映像内のテキストは様々な問題により動的な編集が極めて困難になっている。すべての映像コーデックは当然テキスト情報を保持しないピクセル的あるいは視覚的データ圧縮を行ううえ、レタリングを介さないAfter Effects等のソフトウェア内部におけるテキスト操作でさえ、処理速度やモーショングラフィックス表現のための問題などから文字コードの情報を持たない形へ変換(シェイプ化)されることが全く珍しくない。
また、デジタルなコンテンツにおいてはハイパーテキスト的あるいはWiki的なスケールする情報運用も求められうる。クレジットシーケンスにおける表示内容の変更などはもちろん、NotionやObsidian、Cosenseなどを用いてエンドユーザー個々人もハイパーテキストによるナレッジベースを運用する動きも生まれる中で、映像の編集コストの大きさは障壁となりうる。
過去には、ユーザー側からも逆コンパイル的にテキストデータなどを取り出すことが(理論上)可能なFlash VideoなどがWeb動画にて大きなシェアを獲得していたが、現在ではHTML5の登場によってほとんど完全に淘汰されている。なお、HTML5やCSSなど現在の一般的なWeb環境内で行うテキストの映像的な制御は複雑なエンジニアリングを必要とするため、かつてのFlash Videoほどの盛況には至っていない。
そんな中、橋本麦の"Kindolphin"(2024)は、現在の環境でミュージックビデオをWeb上で動的に実装した好例である。
音声の再生速度にも影響するリッチなシークや全体に施されたディザリングなど、Webアニメーションとしても映像(コンポジット)作品としても非常に高いレベルで実装されている。一方で、AC部によるアニメーションそれ自体の独特で有機的な筆致や動きがエンジニアリングとの対照的を強調され特に豊かな表現となっている。
このメイキング記事からは制作には極めて煩雑な工程を踏んでいることがわかり、加えてテキストはそれぞれがエレメント化され時間軸に対応する形で個別にアニメーションするように実装されているものの、編集可能なテキストやハイパーテキストとしての実装ではない。
こういった問題を解決するための新しい技術として、映像やメディアのハイパーテキスト的システムを考える。
それは古くはティム・バーナーズ・リー、あるいは現在における先ほど挙がったObsidianやCosenseの設計思想に示されるような編集可能性や説明可能性、そして構造化を念頭に置き、映像内の情報のすべてがエレメントとして示され、逆コンパイルならぬ逆コンポジットが可能なデータ形式となる。これはH.264はもちろん.swfファイル(あるいは.fla)もHTMLも実装できなかった全く新しいメディアファイルとして様々に活用されることが予想できる。
そこで、既存のメディアをこの形式の中でもって示すことについての思考実験を行う。
現在におけるすべての編集可能なメディア、すなわちOOXMLやHTML、またPDFなどのファイルに加え、FlashやAfter Effectsなどによるシェイプレイヤー(のみ)を用いたモーショングラフィックスのようなメディアは、それを作成・編集する際のファイルのように展開され示されればよい(が、この時点でもうかなり大変である。タイムラインが表示されたスプレッドシートの意味不明さたるや)。
そして、OOXMLがOPCにより画像などのマークアップ言語外のメディアファイルをパッケージするように、またAfter Effectsによる「ファイルを収集」コマンドを実行しコピーされたフッテージファイルのアドレスが設定され直されるように、実質的にはこれに準ずる機能を搭載すれば最低限の逆コンポジット性が担保される。
しかし、これは"弱い実装"である。以下は余談的に、その他の外部のメディアファイルすらこれに実装される方法を考える。すなわち、別の画像編集ソフトや統合型3DCGソフトウェア、DAWなどで制作されたフッテージをすべて一定の有限なワークフローによるプロシージャルな生成の結果として捉え、理論上はHoudiniやTouch Designerなどのノード、あるいは各種クリエイティブコーディングのためのプログラミング言語のコードとして表されるように、現実で撮影されたあらゆる物体の挙動を生成的な「世界モデル」のシミュレーション結果とする事を考える。
例えば、"marbling footage"と表現されるような映像フッテージは、緻密な流体シミュレーションの結果として表すことが可能である。「木漏れ日の素材」の映像フッテージは、風により枝が揺れる木とそれを通過する光、そしてそれを捉えるカメラ全体を物理的・光学的にシミュレーションすることで得ることができる。
これと全く同様に、渋谷スクランブル交差点の空撮は、世界モデルが北緯35度39分34秒 東経139度42分02秒をシミュレーションすることによって得られる(!?)。
間違いなくカッティング・エッジである世界モデルは、あらゆるものを操作可能とする創作表現の終着点にもなりうる。その道程かあるいはその先に、間違いなく映像のハイパーテキスト的システムの存在が現れるだろう。
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講義の中で複数回用いられていた「答えのない問い」という表現が強烈に印象に残っています。
このように表される事象は排中律的にすべて何かしらの命題ふたつの対立であり、限りなく大きい時間的スケールを経る文明においてヘゲモニーはどちらかが真あるいは偽であるとする方向へ必ず漸近します。 そして、最も合理的に自己複製を行ったのが今日では「科学」「テクノロジー」であり、それはすなわち「最も正確な情報表現」(を目指すこと)です。
このアイデアは、ワークショップや展覧会、あるいは特定のメディアに留まらずあらゆる部分につねにすでに(always-already)表れるもので、学術的価値そのものでさえあります。 これに対しての反証はメタ論理学的視点のみでしか成し得ない点に留意が必要です。 そして、この私がこれにアプローチするとき、私は美術大学でメディア芸術を専攻する学生であることを踏まえてなお、敢えて多くの視覚表現やメディアの中で極めて還元主義的精神に自覚的である「(母語による)テキスト」「論文」「インターネット」を選択しました。 そのため、これは実質的にはアカデミアやインターネット、あるいはCiNiiのGUIやその他設計への批判の方向へ開かれることとなります。 それを深めた先に、「学術的視覚表現」の可能性についての議論が生まれうると考えます。