白紙の原稿 2024/9月
2024/09/30 22:45
あまりにも、精神が悪い。ラーメン食ってカラオケ行ったんだから悪くなる要素ないんだけど、どうやらそれぐらいでは満足しない精神の悪さがあるらしい。
精神が悪すぎて、心にあるプリンのところをぐちゃぐちゃにしてしまったり、それを誤魔化そうとひたすらわけのわからないうわ言をTweetしたりしている
きみとの婚約は破棄する!を使った大喜利をしなさい(5点)
なんかまー、たぶん寒いのと寝不足と空腹と水分不足とかかな〜とは思ってるのだけど、あまりに悪いので朗読しようかな……
と思ったところで、カラオケに行ったから喉が死を迎えてることを思い出す。一回休み。
散歩でもしてくるか〜〜
2024/09/26 17:51
昨日、20分くらいしか寝てないのに全然眠れなくて結局朝方に眠り、寝すぎてしまった。
『さくらのまち』を買いに行くまでのタイムリミットが短い。大体書店は20時には閉まるが、感覚からいって、あと一時間は動けない。ま、まずいなり……
別に今日行かなくてもいいんだが、流石に三秋縋の新刊は発売日に欲しいだろ……
ぐおー。18時〜半目処に動いてみる……か……
21:15
さくらのまち、買ってきた!!!!!読みます
3:13
狂いながら読了した。4時間半ぐらいだろうか。録音は5時間あるが、のこりの30分は読み終わったあとに狂っている時間なので読んではない。
「おれたちは“そう”なんだよ!!!三秋縋ッ!!!なぁ!!!!!じゃあどうすればいいっていうんだよ!!!!!そんなの……そんなのさぁ……なぁ……おまえもそうおもうからこう書いてるんじゃないのか……三秋縋……」みたいなことを30分ずっと言っている もうほんとうにだめ さくらのまちを買ってください 2000円です
2024/09/25 20:49
いや!!!!!!!!!!!!!!!!!いうことめちゃくちゃある!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!たいへんですみなさん!!!!!!!!!!明日は三秋縋の新刊『さくらのまち』の発売日です!!!!!!!!!!!!!!!
近くの書店、並べてくれるかな……在庫届くのかな……どうなんだろ……予約はしてないので書店にダッシュしにいくことになりそう………
三秋縋の新刊、単著の小説新刊は2018/7の『君の話』以来だから……6年ぶり!?!??!おいおいおい!!!!!
逆にデビューしてから1年刻みで出し続けてたのがすげーって話もあるし、そもそもコミカライズとか映画の云々とかの打ち合わせで忙しかったのだろうかと思うが、マジでテンションバク上げ↑↑なんですけど。
三秋縋……ガチすき…………なんかまだぜんぜん読んでもないのに限界になってきた なんで? ちょっとお願いします。だれか支えてくれマジで。だれか支えてくれってなに? ひとりで三秋縋に狂い続けるのは無理があるのでね……頼みます
2024/09/25 2:15
なにも言うことはないが、なにかを言わねばいけない。なぜならば、夜まで寝てしまい寂しすぎるからである。人がいなくなり動きがなくなり、深夜になるにつれて「世界にひとりしかいない」という感覚が強まり、存在を確認せねばならない気がしてくるものだ。
と、いうようなことを書いてみているが、じつのところ、秋の気温が到来したから寒くて、寒いことを寂しいことだと勘違いしているという可能性が高いと思っている。
……眠いな。ねむいのでなにも書く気にならない。ゼロイチする日じゃない。というか、最近別にひとりで考え事するみたいなことしてないんだから当然なにも言うことはない。
公園でカップ焼きそばを食べるということがあなたの世界観に存在していますか?おわり
2024/09/23 3:23
マズい、ぜんっぜん眠れない。
今日は様々なものが様々あり、様々になったわけだが、これら、他人のプライバシーであるし、そもそも語るなら作品にしたほうが良いので何も語れなくなった。
それをひたすら喋って録音してたらこの時間だし、悪酒を一気飲みして体調悪いし、あるきすぎて足いたいし、あらゆら部分が就寝に向いてなさすぎる。
おなかへってるしわかめらーめんたべよう。感情をやりすぎてつかれたから今日はもう語彙とかいいか?
やっぱり世界は美しいって言い続けるし、結局愛だよ愛。だから愛のために間違ってるこんなくそったれた世界は滅ぼしてぼくが語る美しい世界だけを存在させてりゃいいの。世界を愛さなきゃ生きることなんて出来っこないんだから、全員騙してやるからぼくと一緒に地獄で生きようよ。
……みたいなものを平気で生成するくらいテンションがおかしいし、昂ぶっている。でもほら、愛だよ愛。
2024/09/21 6:28
ああ、また死ぬかと思った。普段は深夜にやってくるすべてのものを耳から流れる音楽や会話や物語でごまかしているのだけど、スマホが壊れかけているのと回線が止まっているせいでそのすべてが出来ず、普通に直面してしまった。希死念慮とか、自我拡散とか、手紙が受け取られないこととか、そういうすべてのものがわっと襲い来て、早朝になるにつれて少しずつ消えていった。
体調が悪いのか、精神が悪いのか、本当に最近、とんでもなく落ち込む。いや、落ち込むのはいつだってそうで、日常ではあるのだけど、その中に自我同一性の拡散が含まれているように感じて、マジできつい。鏡で見る像が、自分が喋ったり動いたりするのに合わせて動くのが気持ちが悪い。緩やかに狂っていくから反動の自動補正が出来なくて、結構初めてというか、ここ数年では感じたことのない精神の動きだ。中高生ぐらいのときはこういう、自我同一性、アイデンティティを獲得しよう、自分が何者であるかを定義しよう、という活動をしていたわけだけど、それはなにも獲得されてなかった状態から獲得していく動きだったので、ぜんぜん話が違う。「なにもない土地なので、頑張って土台を作りましょう」というのと、「土台だと思っていたものはすべて幻だったので、一からすべてやり直しましょう」ぐらい違う。いまもまたこの文章以外のことを思考して手が止まったりする。自己制御とは?
でも、そういう悪いことばかりではなくて、あらゆる狂気の源となる泡がぶつかってくるのと同じように、創作の種になるようなアイディアも転がってきたりする。(もちろん、それが形になるか、というのは、別の話なのだけど。)
とにかく指が疲れるというか、文字で思考するとかテキストベースで会話するみたいなものが失われてきているから、文章模写から始めるのがいいのではないか……みたいなことを考えたり。ともかく文章、美しい文章を指で打つことをしなければもはや死ぬのではないか。(死にはしないよ)
色々やりたいことは浮かぶが、朝になって精神が復調し、眠るころには、明日の自分に成り代わっている。睡眠のことを小さな死だと思っているから、すべてのネガティブが寝るとリセットされる代わりに、すべてのポジティブや予定への向き合い方も寝るとリセットされる。昨日思っていたことが他人の思考のように感じられる。
そういうのが、離人感というか、拡散につながっているんだろうよ、とは思いますけどね。
襲い来た言葉たちのなかに、「もう、無邪気に芸術や学術に救いを求めてのめりこめる時期は終わった」というものがあった。まぁ、そんなものはそうだ。このような精神の不調など解決法は明らかで、「金のために働き」「適切に公的手続きと向き合う」というのをすれば、全部解決するんだ。で、それが難しいからこのようになっていて、日々を無駄に過ごし続けているわけだ。優先順位をつけられないし、頭でわかっていても向き合いたくないから、“やっている感覚”が得られる創作や勉強に逃げたがり、そしてストレッサーがあるとそれが気になってまともにどちらも出来ないから、結局コンテンツの消費だけで一日を終える。もっと麻痺した頭だったらよかったし、誰かが頭の中から塊を抜いて、クリアにしてくれればよかった。
ぼくは知っているのだけど、そのクリアにするやつって、多分薬ってやつだよ。
このあいだ脳内に鳴り響いた60首のなかにこういう短歌がある。
「芸術はけしてお前を救わない」そう言う強さが欲しい今だけ
もちろんこれは沖澄栄一郎のことを考えながら書かれた短歌だろうが、これが脳内から参照されてこの形になるということは、やはりぼくはだいたいのことがわかっているのだ。いまだけでいいから、「こんなものは救いのためにならない」という残酷なほど正しい強さを身に着けて、すべてを解決したあとでまた「やっぱり芸術は救いだよ」って間違った正しさを大切にたからばこに入れておきたい。
もっと器用か不器用だったら良かった。と、また思って、自分のプロジェクトにある、リンク先のページを見る。すると、同じような時期(10月初週)に――ぼくはこれを覚えてないけど――人と話しててナイーブになって、泣いて、精神が不調になって、「もっと器用であるか、あるいはもっと不器用であればよかった」と書いている。このようなリンクによって、「そうか、季節柄だな」とぼくは勝手に納得し、この感情や思考を過去にして、心を麻痺させて怠惰で退廃した濃度30%のしあわせを感じるようになっていくのだ。 そうして今日は昨日になり、過去と未来は他人になり、あれほど脳に響いていた、ほの暗くて苦しいけど、でもたしかになにかを感じ取れるはずのものが、忘れ去られていく。
心がいっぱいある。それでいいじゃん、というのと、でもなんか大切にしたいんだよ、とか、でも感傷と苦悩にまみれて気持ちよくなるのはまったくもって意味のないナルシシズムかマゾヒズムであるとか、なんかもう。ね。
ねむいね。ねようね。吐き出して整理したらまた寝れる気がしてきて、実際寝れるのだから。7:02
2024/09/18 20:00
存在をしている。
寝る前に病室を作ってやろうかと思っていたが、公共の場に個室を作るという行為にちょっとした抵抗があるのでやめた。この「吐き出す先を作ろうとしてやめる」というのをわりと何度もやっている。
人の目があるところで人の目がないことを前提として狂人の真似をする、という矛盾した行為をしたがっている。/無情と評されるべき情緒/ 頭の中には言葉がたくさんあり、ただそれを吐き出すための空間が要る。あるいは、ネガティブな感覚をひたすらに吐き出すような時間が要る。
ところで、なぜそれに人の目が必要なのだろうか? それはもう答えが出ていて、「人の目がある」ということである種の保険がかかるから。表現が変わるとかではなくて、自己存在の曖昧化が保護されることが重要だろうと思う。もっと簡易的に言うと、「ひとりでやってると本当に頭がおかしくなる」という表現になるかな。自分の存在がわからなくなり、紡いだ言葉だけが自分になり、どんどん自己意識と思考が離れていって剥がれ、気が狂う。
ぼくは割とぼくという存在、自己意識の強固さ――それに起因する、“どれだけ精神が落ち込んでいても、精神病にならない気質”――を誇っていたのだけど、この間の一件以降、「これが剥離したらぼくは頭がおかしくなるんだな」という確信というか、納得のようなものを持ってしまい、そのせいで/そのせいで?/……んー、つまるところ、“狂うコツ”がわかってしまったので、怯えている。その怯えが、自己存在を補強してくれる他者、人間への依存度を高めているんだよな。
人間の反応に依存する主体のことを唾棄している。見下している。……とまで言うと、露悪的すぎるし過激すぎるが、すくなくとも自意識として、「自分がそのような主体になる」ということを許していない。なので、「人間への依存度が高まっている」ということを自覚すればするほど、人間から遠ざかろうとしてしまう。
このような動きが人格の全てにあり、「マイナス5ぐらいの気分で自分を固定する」ことを目指すような行動原理があるように思う。プラスの言葉もマイナスの言葉も他人からはキャンセルし、自分の吐くマイナスの言葉を信じていて、プラスになるようなものは伝聞系で入ってくる。「どうやら〇〇(自分)って人は、こういうところがあるらしいよ」と発話する。その裏には「まぁ、ぼくはそう思ってないんだけどね」という自己の能力や人格について語る自分以外の評価者の視点がある。それだってぼくなわけだけど。常に評価する自分がいて、その自分が自分ではないという顔をするので、解離が進んでいくんだよな。
認識の問題だな。今までぼくはぼくを評価するときに他人みたいな顔をしていたけど、あくまで“他人みたいな顔”であり、自分が自分に言っているという認識があったけど、「脳内の声を制御できなくなる」という経験をしたことで、認識が「もしかするとあれは自分ではないのかもしれない」という可能性を差し出してきて、そのせいで解離が激しくなった。
これがもう少しちゃんと離して置いている芸術をやってたらそうなることはなかったのかもしれない。短歌……脳内が制御できなくなって出来た短歌群が、ぼくのなかで創作を担当しているキャラクタが作るようなものではなくって、自分の中の人格の/煮凝り/断片みたいな、形を伴っていない隙間のものたちが集まったような感覚のものだったから、はぁ……という感じだ。
こう書いていて思ったけど、ぼくが創作をしたなぁ、と考えるときって、多分その「創作を担当しているキャラクタが作るようなもの」を作ったり書いたりしたときなんだろうな。だから最近なにも書いてない感じがして、悲しみを得ているのかも。
なんか考えれば考えるほど頭がおかしくなりそうだから、一旦やめておくか。しにそう。20:53
2024/09/16 20:31
誕生日のあいだは、わりと精神の調子が良かった。今日はもう誕生日の魔法が途切れているけど、早めにシャワーを浴びれたので多少回復。ただ引き換えのように喉の引っかかりが強い。もう風邪は治りかけているのだが、エアコンがついている状態でわりと長めに寝てしまったからなぁ。そのせいかな。
VCR Minecraft β を見ている。昨日から開始で、fps_shakaの枠をメインで見ているわけだが、終わるのが朝6時とかいう人間が見るに適さない時間帯を釈迦はフルでやるので正直見すぎたなと思っていた。4時か5時ぐらいに寝て気絶してまた16時過ぎにおきたわけだから、陽の光を浴びる時間があまりなかった。まぁ、まだ残暑が残るこの時期だから、陽の光なんて浴びないにこしたことないのだが、でも秋に近くなってきたあの青空を見れないのはちょっとな。今日も見るんだけどさ。
フム。あまり頭が働いていない感じがする……というか、まぁ、配信見ながら書いてるから、けっこう頑張らないと言語がつかめないというのが正しいかな。
ニコニコ動画……ニコニコ超復活祭というのがやっている。オワコンであるニコニコだが、ぼくはいまだに結構すきなので、参加はしないけどニコニコに生息するいにしえの民たちが盛り上がるといいなと思う。
これの関係でニコ生を休日の昼あたりに見たのだけど、““終わり””の人たちが顔出し/実写配信をしていて、余裕で人の心がないコメントがついたり、そして配信者側も配信者側で顔出し実写のまま無言コメント待機をしてただただ“存在”を垂れ流していたり、大好きな「最悪と終わりのインターネット」がまだ残っていて、ゲラゲラ笑いながら一時間ぐらい周回していた。趣味が完全に悪い。でもこういう、わけのわからない、互いに悪口を言い合っているツンケンした状態なのに、どこか一体のグルーヴ感があるインターネットが好きなので、趣味が良くなることは一生ないのだと思うな。
ところで、創作がしたいわけだが、やりたいことが多すぎるのでまず一つ一つ片付けて、やらないことを決めておこう、という感じだ。テキトウに過ごしていると、ふとした瞬間から急に脳内で連載が開始されたりする。新連載するのやめてください。それがもっと具体化されていればぼくだって文句を言わないわけだけど、いざ書こうとすると何のつながりもわからないぐらい曖昧だったりするから、困ってしまうんだよな。面白そうなのに具体化されてなくて読めないのやめてくれ。ぼくが考えなきゃならんだろ。
喉がからからなので、水を飲んで生きていこう。
2024/09/15 13:13
起きた。誕生日だ。
誕生日と存在の無条件肯定
誕生日とは誰だとしても祝われることに誰も文句を言わないし、基本的におめでとうと誰もが言ってくれる日である
誕生日である限りにおいて、僕の存在は無条件の肯定に近いものを受け取れる
ほんとうは無条件ではないが、その条件性はむしろ「なんでこんなに肯定されるんだ?」という懐疑を「あ、そうか誕生日だからだ」という論理のない根拠によってなぎ倒してくれるから心地良い
それはそれとして暑すぎるので水分不足なのか頭がくらくらする。水飲まないと。13:17
誕生日プレゼントはフィードバック(反応)が欲しい、とここ3年くらい思っているな。
ものを貰っても大切にできないので言葉をもらうほうが大切にできる、ということだ。
2024/09/15 0:17
こっちで日記……というよりも、考えのログを残そう。元々人の目があったり、そこに反応があったりすることが好きなのだから、もはや取り繕っても仕方がないし、人目のあるところで吐く方が建設的だ。
というのも、今日……というか体感では先ほど(23時前ぐらい?)まさに、風邪の体調不良と寝不足と諸々が重なって、“自己の存在”とか“自己の存続(過去・未来)”とかを信じられなくなって、そこに普通に通話して普段通り喋っていた友達の言葉が意図しない方向にぶっ刺さり、急に何も喋れなくなりながらこどものようにたどたどしく“なぜこのようになっているのか”を説明して泣きそうになったところであるから。
べつに迷惑かけていいよ、という互いの了解みたいなのはあるものの、それでも普通に喋ってたら急に泣き出しそうになる人間は精神が不安定すぎる。もうすこし人の目に触れて自己の存在を確立しておかねばならない。
思考ログから引っ越したのは気分の問題……ではあるか。
まぁ、単純にタイトルが書きづらくなった、ということでもある。最近は、「言うことはないが、白紙の原稿に向き合う」という形で文字を書くので、思考ログという「思考が前提にあり、それを書き落とす」タイトルだとちょっと書きにくいかな、というのがあった。
それに合わせて、まぁフォーマット的なところも変えて、もうすこしのびのび、広く使えるようにしたかった、というのもある。なんだか狭い感じがして嫌だな、というのがあったりなかったりするんじゃないだろうか。
どちらにせよ、「元の状態だと使いづらかったから」が答えで、なぜ使いづらかったかといえば、「気分的に」なので、「気分の問題」である。
あんまり関係ないが、友人と話して、急に情緒がぐちゃぐちゃになって「ぅん……もうねる……」ってなったときに「あ、そういえば。明日連絡するかわからんからいっとくけど、誕生日おめでとう」と言われて、「おれおまえすき””」ってなった。情緒めちゃくちゃだよ。
でも普通に、誕生日じゃなかったらもっと落ち込んだまま寝てたんで良かったなぁ、と思います。
普通にあまりにもよい出来事だったから言ったけど、誕生日って言い始めるとみんなの反応を期待して勝手に落ち込むから今年は(今日の精神衛生を鑑みて)やめようぜ、っていう話になったんだ。(誰と?)
誕生日におけるおめでとうの言葉、存在を追認されてるみたいな感覚がうれしいんだな、っていうのが、今日の発見でもありました。だから今年はもうそんなに要らないな。なんか完璧なタイミングでおめでとう言われたから。
(それはそれ)/(ここに自分の攻略情報を載せようとして、意味が不明なので辞める)
やっぱ人の目があると正気が保てて良い。人からどう見られるか、というメタ認知で感情とか心の欲求を暴走させずに済む。今日はほんと、おとなしくねよう。眠いし。
ちなみに、ここに書いた文とかで気になったものについては、自己言及的反芻帳などで扱われるだろう。 現時点でも、自分の文を「こいつ小賢しい真似するなぁ」と思っている点が何個かあるので、そういうメタ的な指摘は、(ここに書くのを我慢できたら)そっちに譲ることにする。
まぁ、ぜんぶ書いた後に移植するでもいい。最新の研究ではほんとうに、/ほんとうに?/介入してくる自動的な侵入思考やら手が止まったときに思い浮かぶ無関係の単語などを書いたほうが創作や文字を書くことや考えを吐き出すことに効果的なのではないか、という指摘もある。/乙女幸彦/
しばらくは書き方を迷うけど、割り込むように思考に入った単語は//の中に格納しておく。邪魔だなと思ったら捨てるかもしれない。あと、普通に狂いそうだと思ったらやめるかも。
ところで乙女幸彦ってほんとになんだろう。自動で出てくる思考の音波、「日本語のような存在しない響きのことば」を出してくることがあるから、不思議なんだよな、ほんと。
寝る。 0:43