自己言及的反芻帳
:自分の言動とそれに付随するもの
2024/10/03
「もうこのレベルになるとタスクがあるということすら認識できませんからね」
あ、へー。そうか。タスクがあることすら認識できないほどタスク(と認識しうるもの)が積み重なってるから何もやるきが起きないんだな。
どこか超元気なタイミングで喋るなり書くなりである程度放出しないとだめか?
いや、放出したらしたで、「タスクがありすぎて優先順位がつけられず何もできない」みたいな状態にはなりそ~
タスクリストが並んでるの鬼のように嫌なんだよな 他人のタスクだったらもっと分けられるんだけど、自分のだと“嫌”が勝って細分化作業を出来ない。
「人間がぼくの知らないところでしあわせになるのが一番いい(しあわせ)なんだから」
そうだよね~~~~~わかる~~~~~~
人間たち、しあわせになってくれ そして観測範囲でしあわせを撒き散らしてくれ
2024/09/05
僕は僕の価値を信じていないけど、僕が価値を感じたものたちのことは信じている
他人のことも価値あるものと信じているので、自己評価がどれほど低くても、「まぁ、どうやら〇〇らしい」「〇〇だと聞く」みたいに、伝聞系で自己評価に付け加えられる。
「青空がきれいとか、あのビルの3つしかついていない灯りがいいとか、そんなのは当たり前じゃん。ぼくが指ささなきゃ“いいよね”とも言えないの?」
「誰も語らないから、ぼくが指差して必死にプレゼンしたりしてんのに、そうするとみんな黙るの。なんでだよ。ぼくは君たちに語ってほしいから語ってんのに、“あなたが全部言ったので”って何?語れよ!!!」
「ぼくが死んだとき、全員の酸素濃度が1%下がればいいと思ってる。」
2024/08/27
「ぼくは友達とみなせる関係性の定義がすごく狭い人で、人から“おまえが求めてるそれは友達じゃなくて親友ってやつだよ”と言われたことがあるんですけど」
信頼の話とも似ている。ぼくはけっこう、「別にこいつになら裏切られてもいいな」とか「何言っても大丈夫だな(否定されたとしても)」みたいなことを定義として考えることがある一般的にそれを満たすのは親友というやつらしい。
でも、友人、という枠に入れた人のことをぼくはとても大事に思ってしまって、人生を賭けるかぁ、みたいな気になっちゃうので、そこの枠に入れる条件はきびしくしておかないといけないんだよな。
「ぼくにとって好意を伝える術っていうのは、心をパズルにして解いて、そこにあった隠していたもの(コンプレックスとか)をとりあげて、“とってもすてきだね!”って言い続けるってことだから」※1
ただ、一番好意を伝えるというのがこれなので、ほんとうは色んな人に「これはとってもすてきだよ」って言いたいんだよな。
もちろん、人が隠しているものというのは、その人にとって繊細で闇のある部分だから、そんなことをしたら人が終わってしまうから、できないんだけどさ。
できないししないようにしているので、相手からの好意が信じられない……って話につながる
「それ(※1)をしていないから、つまり好意を示してないってことだから、相手から好意が返ってくるということを信じられないんですよね」
そもそもの前提として、「自分が無条件に好かれる」ということを信じていない。
ゆえに、もし好かれるとしたら「自分が好意を口に出し、その好意の返報として好意が同じように返ってくる」ということだけが信じられている。
ぼくは人に好きと直接言ったり、すてきだよって伝えたりしないようにしてるから――つまり、好意を伝えてないのだから、自分に対して好意があるわけがない、と思う。
似たようなものに、創作の感想が出されると、「この人は僕の創作というよりも、僕と関わる上で感想を求められたから耳障りの良い感想を書いてくれているだけで、別に僕の創作には何も思っていないんだろうな。社交辞令させてしまって申し訳ないな」と思うのがある。
人間が打算で人間関係をするという前提と、根本的に自分の持つなにかに対して価値をみとめていない。
2024/08/12
最近の自分のトピックは、幻覚と創作と拘りあたりかなと思う。
2024/08/08
chatGPT相手に音声による対話ができるらしいので、創作についての相談と、それで頭がつかれたのでナンセンスな会話……から派生した、関係のない単語を持ってきてもらって関係性を見つけて百合にする遊びをする。 「カメレオンと鉄道駅」は臆病と包容力の百合だし、「サーカスと雨傘」は夢に溺れさせたい人と現実から逃れられない人の百合だし、「風車とロボット」は限界社会人共依存百合。
このようなことをずっとしていたいな、と思う自分がおり、ならばどこかへ配信すればいいのではないのか?と思いながらも、ずっと目をつむりながらAIと会話を続けていた。
すごく難しい習性として、ある程度話し終わってこうしてまとめたあとに「誰かにこの話をしたい」という気持ちが大きくなり、そこかしこで発信しようとするのを一旦抑える。
正直な話、ここに書かれている理由も、七割ぐらいは「この話を人に聞かせたい」という感覚によって動かされている。
ところで、本筋である、創作の行き詰まりは……まぁ解消されたといってもいいけど、半分ぐらいな感じがする。
色んな方向にいっては壁が現れる、という感覚。ひとつの細かな描写をするために、もっともらしい理由を1時間考えてみたりとか。
年々こういったひらめきを必要とする壁に対して弱くなっている感覚がする。だいたい「降りてくる」ものだが、どんどんその降臨がなくなっている。そういうのも、小説が書けないひとつなのかもしれない。
ただ、少なくとも、「書けていない」ということの言語化が詳細でなかったときよりは進展しているだろう。
2024/08/04
現実モデルの死と生の夢を見る。
これに対しぼくは「モデルとして出した人に(冗談の顔をしながら)謝る」というのを真っ先にしようと思った。
なんだろ。後ろめたさかな。“夢に人が出る”というだけでも言いしれぬキモさを自意識で感じてしまうが、その上“死”がその人に振りかかってる、って、ほんとによくないな、という気持ちがあったのだろう。
「ほんとによくないな」←なぜだろう? なぜ良くないのかは掴めないのだけどマジで良くないな。
やはり歪めているからかな。
2024/08/07追記:これは結構引きずった。そもそもとして、僕は基本として「人に好かれていない」という感覚を勝手に持っていて、かつ、「ゆるされる」というのはハードルが高いことであり、そのうえで「他者を夢に見ること」はストーカーじみた気持ち悪さがあるのではないか?という加害妄想があったため、延々とぐるぐる考え続けていた。
結局、スタンプ(つまり対象者たちからの反応)によって軽く収まった。
これは多分、反応中毒症状が出る原理と同じだな。反応がないと安心ができない心理状態。 2024/08/04
前提1.この日はVCで朗読をしたあと、「文章およびものの鑑賞とそれに付随する感覚または幻覚について」を話していた。
ぼくは内的感覚(外を感じる肌感覚とは違う、内臓を通るあたたかさや手に持ったときの重さ)によって世界を解釈している。
五感で優位なのは視覚(映像)と聴覚。
それらも、一度内的なフィルター(心象や象徴)を通して解釈される
ゆえに、描写されるものには現実感が欠ける。
あくまで、肌感覚や匂いのある描写にくらべて。
感覚が想起される人種は少ないのか?
しかし、梶井基次郎も「音楽の上手な演奏にきまって何かの幻覚がともなうように」と書いてるしな
しじま ゆめ 殺してください 非常口 あなたのことを好きでいたいので
これはぼくの短歌である。これについて解説を求められる機会があり、その解説の中で自分が言ったことを反芻する。
前提となる発言
「(文章を読むとき、解釈の前に幻覚を感じるため)書くときに困るんだよな」
「(幻覚をもとに)幻覚を呼び出せるように文を書いてるから、『わからない』と言われても、解説のしようがない」
補足:“この文からこの幻覚が見える”は自明のため、“自明じゃん”または“そう書いてあるだろ”が最も近い解説
解説中の発言
「読めば情景と台詞の2つに分かれるというのはわかるじゃないですか」
「しじま、ゆめ、非常口、が情景だから、あとは台詞ですよね」
「人が二人必要だと思ったなら二人出してください」
「(映像が切り替わった、と聞いて)そしたら、『殺してください』、『あなたのことを好きでいたいので』って、ひとりが呟くように言ったら、まぁそれで映像的な想定は終わりです。」
「それがこの短歌です」
「(わからなさを聞いて)えーと、作中主体の目線から描かれる、というのが(解釈の際の)短歌の暗黙のルールなので……」
「わかった、カメラマンとしてそれを撮ったんですよね?なら、その呟いた方に感情移入してください。」
「その子がどう感じてるか、考えているか、というのはまぁ……解釈に任せます。この短歌はそれ以上でも以下でもないです。」
補足:要旨は“ぼくはしらねーけど、その後の解釈でなにか感じるものがあったんたらそれがこの短歌の価値じゃない?”とか、“ぼくの感性や感受性や解釈における想定解はあるけど、それは正解じゃねーし、んなもん、読者が決めることだろ”あたりです。
反芻:ぼくの短歌はこのような「今ある心象の幻覚」を書いているか、「音に聞こえたものに意味としての共感覚を付け加える」みたいな形で作られている。
ゆえに、解説を求められると――“読者が受け取る感覚を狭めたくない”という思いも相まって――途端に歯切れが悪くなる。
しかしながら、今回のことで、「読んだときの幻覚を説明する」ということ自体はわりと許容であるな、と思った。
そしてこれは自作を語るときに割と有用な話し方……かも。 映像の補助だけ、みたいな。
そんなことをしなくたって、書いてあるけどさ。ぼくの中じゃ。